シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

2021-01-01から1年間の記事一覧

18 CIAの作戦 9.11攻撃予測の失敗

「9.11百科事典」表紙とCIA長官テネット 2001年9月11日の朝、アルカイダがおこなった同時多発テロ攻撃で2,977人が死亡した。 米国本土でのテロに対する監視はFBIの責任だったが、CIAは国際的な情報収集の責任があった。いずれにせよ、事件は未然に防ぐことが…

17 CIAの作戦 ドローン

MQ-9リーパーとRQ-1プレデター(右上) CIAが諜報機関の業務に使用している無人航空機(UAV=Unmanned Aircraft Systems)は、目標とする地域の監視および偵察(ISR=intelligence, surveillance and reconnaissance)に使用される。しかしこれらのUAVのいく…

16 CIAの作戦 CIAの麻薬関係史

ケシ畑とエアーアメリカの輸送機 CIAは、世界で拡散する共産主義の撲滅をその任務としていた。そのため、反共産主義活動をする組織を援助するため、麻薬の生産と売買に関与したいくつかの戦闘部隊と関係をもった。たとえばラオスのモン族、ビルマの中国国民…

15 CIAの作戦 アフガニスタン紛争(1979-89)

アメリカ製のスティンガー対空ミサイル 1978年、アフガニスタンの反政府勢力ムジャーヒディンが蜂起し、その翌年、ソ連の地上軍と空軍によってアフガニスタンは占領された。 次の10年、ソ連と戦うムジャーヒディンは、アメリカをはじめ多くの国から軍事訓練…

14 CIAの作戦 「イランアメリカ大使館人質事件(1979)

アメリカ大使館占拠と工作員アントニオ・メンデス 1979年11月4日、イラン・アメリカ大使館人質事件がテヘランで発生した。イスラム革命防衛隊率いる暴徒による、アメリカ大使館占拠は、444日間続き1981年1月20日にようやく解決した。しかし大使館員のうち、…

13 CIAの作戦 「フェニックス作戦」(1968〜1971)

「ヴェトナム百科事典」表紙と、サイゴンから脱出する市民 ヴェトナムについての1965年のCIAの報告は、「ヴェトナム戦争は膠着状態にあり、米国はそれを勝ち取ることができなかった」と結論付けた。したがって政策立案者は、事実に基づいて正しい意思決定を…

12 CIAの作戦 南米チリ大統領の排除(1973)

クーデター(左)とカストロとアジェンデ(右) 1959年のキューバ革命以降、米国政府は南米の共産化に伴い、CIAによる反共産支持者に対する援助を始めた。 1962年、チリでは左派が増大し、保守的な軍隊との分裂に至った。そこでCIAは、1963年から10年間、チ…

11 CIAの作戦 ゲバラ暗殺(1967)

ゲバラの棺とゲバラ エルネスト・ゲバラ(1928–1967)は、キューバ革命(1956–59)と1961年のピッグス湾事件の両方でカストロの2番目の指揮官として働いた。 1928年にアルゼンチンに生まれたゲバラは、中流階級の家庭の5人の子供の長男だった。 彼は1947年に…

10 CIAの作戦 ゴ・ディン・ジエム暗殺(1963)

焼身自殺する僧侶とゴ・ディン・ジエム大統領 南ヴェトナム初代大統領のゴ・ディン・ジエム(1901- 1963)は、共産主義の拡大を懸念するアメリカの支援を受け、国内の共産主義者を厳しく弾圧した。彼は熱心なカトリック教徒でもあり、カトリック信者が多いサ…

9 CIAの作戦 キューバミサイル危機 (1962)

ソ連製の地対空ミサイルとU2偵察機 キューバミサイル危機は、キューバでのソビエト中距離核ミサイルの配置をめぐる、米国とソ連邦の間の対立である。 1962年7月から8月にかけて、ソ連の貨物船がキューバの港に出入りするため、アメリカ軍は、キューバ近海の…

8 CIAの作戦 ピッグス湾の侵攻(1961)

事件後の「LIFE」表紙と作戦での捕虜 キューバ革命から2年後の1961年4月17日。CIAの支援で軍事訓練された亡命キューバ人部隊が、キューバに侵攻してカストロ政権の打倒を試みたピッグス湾の侵略「ザパタ作戦」が実施され、CIA史上最悪の失態をもたらした。 …

7 CIAの作戦 カストロ暗殺計画(1960–65)

カストロと彼の墓 1959年のキューバ革命でアメリカの傀儡バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えたカストロ(1926 - 2016)は、何十年にもわたってアメリカに敵対してきた。 彼はすぐに、労働組合の組織化と支援を地元の共産党に求めた。…

6 CIAの作戦 インドネシア作戦(1957-8)

スカルノ大統領 1950年代後半、CIAの秘密作戦の専門家であるフランク・ウィズナー(1909 – 1965 )は、インドネシアのスカルノ大統領の反米感情と共産主義への共感の高まりが、米国にとって脅威であると言及していた。そこでCIAは、スカルノ政権に対しての否…

5 CIAの作戦 ベルリン・トンネル (1953–56)

トンネル部品の一部(左)と発見現場(右) コードネーム「OPERATION GOLD」のベルリントンネル(1953–56)は、西ベルリンのすぐ内側から東ドイツの奥深くに伸びるCIA-MI6地下通信監視施設である。 CIAとMI6によって計画されたトンネルは、東西ベルリンの国…

4 CIAの作戦 グアテマラ・クーデター(1954)

グズマン大統領とアルマス大佐 1951年3月、グアテマラ軍と共産党の両方の支援を受けた元革命家のアルベンス・グズマン(1913-1971) が大統領に選出された。 アルベンツ・グズマンは、組合の強化や、10万人の農民への土地の再分配などの経済的改革を開始した。…

3 CIAの作戦 イラン・クーデター(1953)

モサデク首相とパーレビ国王 反イギリス政策を掲げる議員のモサデク(1882 – 1967 )は、1951年に行われた民主的選挙で首相に就任した。就任後彼は、英国の所有するアングロ・イラン石油会社(AIOC)を含む、すべての外国の石油会社の国有化を命じた。 これ…

2 CIAの作戦 チベット抵抗支援 (1957-72)

「CIAのチベット秘密戦」表紙とチベット人ゲリラ 1950年10月、中国人民解放軍は「チベット和平解放」と称して、チベット東部のカムド地方に侵攻した。チベットの抵抗運動は弾圧され、多数の市民が犠牲となった。 1957年はじめ、チベット人商人ゴムポ・タシは…

1 CIAの作戦「朝鮮戦争」での失態(始まり)

LIFE誌(1950.11.20)とベデル・スミス将軍 第二次大戦中の1942年に設立されたOSS(戦略情報局)は、戦後その役割を終え、トルーマン大統領は1947年に情報組織を統合すべくCIAを発足させた。初めは情報収集を目的としたが、秘密工作も行うようになり、他国の…

24 有名人のスパイ  アイヒマン誘拐を指揮したハレル(終わり)

裁判を受けるアイヒマン、右はハレル ロシアに生まれたイッサー・ハレル (1912-2003)は、1931年にパレスチナへ移住、所属していたイギリス警察を解雇された後、ユダヤ人の地下防衛組織ハガナに入隊、情報活動に関った。 ベン=グリオン首相の友人だったハレ…

23 有名人のスパイ  虐殺者クラウス・バルビー

法廷のバルビーとナチス時代のバルビー 第2次世界大戦中、フランス・リヨンでゲシュタポの治安責任者として赴任したクラウス・バルビー(1913-1991)は、反独レジスタンスを鎮圧の任務で、8,000人以上を強制移送に送り、4,000人以上の殺害に関与し、15,000人以…

22 有名人のスパイ  暗殺チーム マイク・ハラリ

映画「ミュンヘン」とハラリ モサド(イスラエル総保安庁)及びシンベト(イスラエル総保安庁)に所属していた諜報員マイク・ハラリ(1927-2014)は、1948 年5 月のイスラエル建国と同時に情報工作員となった。 後に国内情報機関シンベトの諜報員として、2 つ…

21 有名人のスパイ  富豪アーマンド・ハマー

ブレジネフとハマー アーマンド・ハマー (1898-1990)は、人生の大半をソビエトとの違法取引に関わったアメリカ人実業家。1957年から晩年まで、石油会社オクシデンタルを経営。アメリカとソビエトを結ぶ民間大使とされることが多いが、実際にはソビエトのため…

20 有名人のスパイ  国防軍情報部長カナリス

カナリスとフロツセンビュルク強制収容所 ドイツ軍の情報機関「アプヴェーア」(1921- 44)の長官を、1935年から44年まで務めたカナリス(1887-1945)は、ナチ政権で高い地位にあった一方、彼はヒトラーの政策には反対し続けた。 ギリシャ系実業家の息子のカナ…

19 有名人のスパイ  CIA長官アレン・ダレス

アレン・ダレスの著書とダレス 第5代CIA長官(1953-61)のアレン・ダレス(1898–1969)は、CIA最初の民間人長官で、CIAの歴史の中で劇的な役割を演じた。 彼は1910年にプリンストンに入学し、卒業後すぐに米国国務省に採用され、外国でのキャリアを開始した…

18 有名人のスパイ  科学者スパイ/フックス

クラウス・フックスとイギリス保安部(MI5) クラウス・フックス(1911-1988)ドイツ生まれの原子力物理学者。 原爆スパイ網の重要人物で、彼から情報を入手したソピエトは原爆開発を加速させた。ドイツ生まれのフックスは、キール大学に移って共産党に入党。ナ…

17 有名人のスパイ  プーチン

プーチン宮殿とプーチン ロシアの大統領ウラジミール・プーチン(1952ー)は、スパイにあこがれ、「どうすればスパイになれるか」を知るために、9年生の頃、KGBの支部を訪ねた。支部の人間が「軍の出身か、大学の卒業生しか入れない」というと、プーチンは…

16 有名人のスパイ  暗殺者スタシンスキー

スタシンスキーとルビャンカ広場の元KGB本部 ボーダン・スタシンスキー(1931- )は、毒性のカプセルを発射する銃で、暗殺の訓練を受けたKGBの暗殺者。ウクライナ生まれの彼は、19歳からソビエト情報機関で働き始め、ジョゼフ・レイマンという、架空の東ドイ…

15 有名人のスパイ KGBの秘密文書を暴露したミトロヒン

「剣と盾」表紙とミトロヒン ワシリー・ミトロヒン(1922–2004)は、ソ連崩壊直後の1992年、ソ連からイギリスに亡命した元KGB職員。「6つのコンテナ」に詰め込んだ機密文書を、イギリスの情報機関MI6に手渡した。 彼は1948年にソビエト諜報機関に採用され、…

14 有名人のスパイ「日独防共協定」を盗んだクリヴィツキー

クリビッキーと、彼が死んで発見されたKimpton George Hotel ウォルター・クリヴィツキー (1899 - 1941)は、1919年にソビエト共産党に入党し、ポーランド・ソビエト戦争で諜報活動に従事し、スパイとしての経験を積むことになる。1931年から統合国家政治局…

13 有名人のスパイ ジョセフィーン・ベーカー

ジョセフィン・ベーカー 1927年パリ セントルイス出身のアフリカ系アメリカ人の歌手ジョセフィーン・ベーカー(1906 - 1975)は、1925年10月2日、パリのシャンゼリゼ劇場に出て「レビュー・ネグロ」に加わる。ここで彼女のチャールストンを目にしたパリの観…