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18 有名人のスパイ  科学者スパイ/フックス

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クラウス・フックスとイギリス保安部(MI5)

 クラウス・フックス(1911-1988)ドイツ生まれの原子力物理学者。

原爆スパイ網の重要人物で、彼から情報を入手したソピエトは原爆開発を加速させた。ドイツ生まれのフックスは、キール大学に移って共産党に入党。ナチスドイツからの避難民として9月にイギリスに渡った。

 1941年には、米英の原爆開発秘密プロジェクトにドイツ人物理学者の1人として参加した。

 1943年12 月、フックスは原爆開発に従事するイギリス使節の一員としてアメリカに派遣された。

 一方、フックスはソピエトからの密使と接触するよう指示を受け、1944年にアメリカを再び訪れた。密使ゴールドは、ニューヨークでフックスと会い、資料の入った包みを受け取った。フックスは、次に原爆の設計・組立を行なうニューメキシコ州のロスアラモス研究所に送られる。

 戦争が終結した1945年9月、フックスは再びゴールドに会い高度な機密情報を渡した。

 戦後に米英の協力関係が終了した後、イギリスは独自の原爆開発に取り組んだ。フックスもそれに従事し、1950年を迎える頃にはハーウェルの原子力施設で理論物理学部門の長になった。またスパイ活動も並行して続け、1947年9月にはアメリカで原爆スパイ網を指揮していた新たなハンドラー、フェクリソフと会っている。

  1949 年11月、FBI はアメリカの原子力委員会へのスパイ行為で、フックスに疑いを抱く。ヴェノナ計画で解読された文書に、「 チャールズ」という人物が、原子爆弾を分離する手法についての情報をもたらしたとされているからだ。FBI はフックスこそがチャールズだと推理した。

 1949 年12 月、イギリス保安部(MI5) は、フックスへの尋問を始める。そしてフックスは、翌年1月に自白し逮捕された。公的秘密保護法違反で起訴されたフックスは、ロンドンの中央刑事裁判所で裁かれた。有罪を認めたフックスは、禁固14年が言い渡された。1959年に釈放されたブックスはドイツへ移住、核研究所で勤務し最終的に原子力物中央研究所の所長となった。「資料 スパイ大事典」