2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧
書籍「シンシア」と「イントレピッド」の表紙 暗号名「シンシア」(cynthia)と呼ばれた女性情報員は、本名は、エイミー・エリザベス・ソープ(1910 – 1963)。 彼女はイギリス外交官アーサー・パックと結婚してワルシャワに来ていた。イギリス情報機関MI6は、1…
キム・フィルビーとSIS本部 キム・フィルビー(1912 - 1988)は典型的なモグラ(Mole)で、ソビエトKGBの代理人として自国の諜報機関に潜入し、30年近くその秘密を売った男である。フィルビーは幼い頃に、共産主義の原則を知り、その種を育てた。1933年にKGB…
ハイドリッヒと、彼の謀略で処刑されたトハチエフスキー ラインハルト・ハイドリヒ(1904 - 1942)は、ゲシュタポ長官及び親衛隊諜報部(SD)長官。 彼が頭角を表したのは、1934年6月30日、SA(突撃隊)のエルンスト・レーム一派の粛清に当たってニセ情報、偽…
ゾルゲと、アゼルバイジャンにあるゾルゲのモニュメント リヒャルト・ゾルゲ( 1895 - 1944)は、ソ連のスパイ。1933年から1941年までの8年間にかけて日本で諜報活動をおこなった。彼の非凡な活動は多くの書籍や映画でも取り上げられる、もっとも有名なスパ…
ザカリアスと「日本との秘密戦」(原書)の表紙 エリス・ザカリアス ( 1890 - 1961) は、第二次大戦期の海軍情報部次長。 1912年に海軍士官学校を卒業。1920年駐日米大使館付語学将校として来日。第二次世界大戦時、ソルトレイクシティ の艦長を務めた。 194…
映画「寒い国から帰ってきたスパイ」(1965)と原作者のジョン・ル・カレ(左) スパイ小説の第一人者ジョン・ル・カレ(本名デイビッド・コーンウェル)は、スイスのベルン大学に通い、1956年にオックスフォード大学を卒業した。1958年、彼は英国外務省に加…
吉川猛夫と真珠湾攻撃 吉川猛夫(1912 - 1993)は、海軍軍人で、真珠湾の軍艦の動きを監視し、それを海軍情報部に報告する任務を受けていた。吉川少尉は海軍情報部のアメリカ担当に任命され、四年間英語を学んでいた。吉川は一時、海軍から外務省に配転され…
土肥原賢二 土肥原賢二(どひはら1883 - 1948)は、昭和2年(1927)4月に歩兵第3連隊附の位階で中国出張。7月に大佐に昇進。彼は長年中国で暮らすうちに、中国語を完壁に話すようになり、多くの地方語も習得した。がっしりした体格の偉丈夫であるうえ、陽…
軍服姿の川島芳子と川島芳子の伝記本 川島芳子(1907 - 1948)は、清朝の皇族・第10代粛親王(しゅくしんのう)善耆(ぜんき)の第十四王女。 8歳のとき、粛親王の顧問だった大陸浪人川島浪速(なにわ 1866 - 1949)の養女となり、日本で教育を受けた。1927年に旅…
資料本表紙のシャネルと、シャネルの愛人ディンクラーゲ男爵 ココ・シャネル(1883 - 1971)は、モンローが使っていた香水の「シャネルの5番」で有名。第二次大戦中、シャネルの甥アンドレ・パラスは、ナチス・ドイツの侵攻で、マジノ線の要塞の約30万人の…
スメドレーと、八宝山革命公墓のスメドレーの墓 アグネス・スメドレー(1892-1950)は中国に関するジャーナリストとして日本でも翻訳があり、よく知られている。彼女はミズーリ州サリバン郡のキャンプ場で生まれ、主に独学だった。1916年から1917年の冬にニ…
小説「アシェンデン」の表紙とモーム イギリスの小説家サマセット・モーム(1874 -1965)は、1914年第一次大戦で赤十字野戦病院の運転手になった。その後、ドイツ語とフランス語に堪能だったため、1915年に英国の情報局の代理人として採用された。彼はスイス…
吉原の前の源内 平賀源内(1728ー1780)は、江戸時代の本草学者、蘭学者、戯作者。風来山人。1776年に長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生器)を修理して復元する。大名屋敷の修理を請け負った際に、修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁を殺傷し…
モンテーニュとラボエシ モンテーニュ(1533- 1592)は、フランスのボルドーの市長として重要な役割を果たしたが、彼の有名な「エセー」(1580–1588)は、ジョン・フローリオ(同性愛者の仲間)によって、ウェールズのヘンリー王子(1603)の宮廷のために翻…
ゴーゴリと彼の館 ニコライ・ゴーゴリ(1809–1852)は、ロシアの作家で、ウクライナの貴族の家族に生まれた。父は劇作家。『検察官』、『外套』、『死せる魂』などの作品で知られる。 1829年に最初の本を自費出版したが、酷評された彼は印刷したコピーのほと…
小説家コレットとダンス時代のコレット フランスの作家コレット(1873–1954)は、同性を対象とした恋愛遍歴で有名。代表作の『ジジ』 (1944) は、後に映画化された。 彼女は快適な田舎での子供時代を過ごしたが、1893年に15歳年長のアンリ・ゴーティエ=ヴィ…
クリスティーナとエバ・スパーレ(枠) クリスティーナ(1626–1689)在位(1644–1654)は、17世紀のヨーロッパで最も有名な女性を愛する女性であった。彼女はグスタフ2世アドルフ王とマリア・エレオノーラ女王の一人っ子だった。彼女の父親が6歳のときに死亡…
レームと突撃隊員たち エルンスト・レーム (1887–1934)は、ドイツのナチス指導者。 彼は1906年にドイツ陸軍に加わり、第一次世界大戦で功績を残したあと、ナチ党になったドイツ労働者党の初期のメンバーだった。彼は党の準軍組織である突撃隊(SA)を組織し…
ローズとピカリング。背景はローズの墓 セシル・ローズ(1853-1902)は、英国と南アフリカの政治家。 英国で最も有名な帝国主義者の野心を実現した聖職者の息子であるローズは、1870年代初頭に、兄と合流するために南アフリカに行った。 両者は当時発見され…
映画「アラビアのロレンス」とT.E.ロレンス 「アラビアのロレンス」として知られるT.E.ローレンス(1888–1935)は、第一次世界大戦の英雄で、ピーター・オトゥール主演の映画で日本でも有名となった。 ローレンスは、父親は結婚していたが、別の女性と駆け落…
フリードリッヒとマイケル・フレダースドルフ フリードリヒ2世(1712–1786)は、プロイセンの支配者であるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の息子。フリードリッヒの父は、彼を悪夢のような子供時代にさらした。王子フリードリヒはフルート、詩、そしてフラン…
アルフレッド(左)とプルースト フランスの作家あるマルセル・プルースト(1871–1922)は成功した医師とユダヤ人の母親から生まれた。 彼の同性愛の発現は、作曲家レイナルド・アーン(1875 - 1947)との彼の友情に関連している可能性がある。1894年の時、3…
写真 H・バーガー(左)、ヴィスコンティ(右)、背景映画「ベニスに死す」 イタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ(1906–76)の芸術的キャリアは、1960年代から1970年代にかけてのヨーロッパ映画界の牽引者の一人。ヴィスコンティが20歳のとき、軍隊生…
写真 バーンスタインとミトロプーロス ミュージカル「ウェストサイド物語」の作曲で有名なレナード・バーンスタイン(1918–1990)は、指揮者および作曲家として世界的に高い評価を得たユダヤ系アメリカ人だった。彼は1958年から1969年までニューヨークフィル…
ケインズと作家フランシス・ビレル ジョンメイナード・ケインズ(1883–1946)は、英国の経済学者および作家。1902年にケンブリッジのキングスカレッジに入学。大学在学中、ケインズはリットン・ストレイチー(1880 - 1932)とも親しくなり、使徒たちに引き込…
クルップとベルリンのホテル・ブリストル フリードリヒ・クルップ( 1854 - 1902)は、ドイツの実業家、政治家。鉄鋼財閥クルップ社の3代目当主。彼の家族の鉄鋼および兵器会社の責任者であるクルップは、世紀末ドイツで最も裕福な男であり、結婚して2人の子…
ヴァージニア・ウルフとサックヴィル=ウェスト(背景はウルフの家) ヴァージニア・ウルフ(1882 - 1941)は、イギリスの小説家、評論家で、代表作に『ダロウェイ夫人』 、『灯台へ』など。 子供の頃、異母兄弟のジェラルド・ダックワースに性的虐待を受け…
シーザーの暗殺 Vincenzo Camuccini 画(1806) ジュリアス・シーザー(BC100~44)はローマの将軍および政治家。 ローマで古い貴族の家族に生まれたシーザーは、紀元前1世紀初頭の市民の不安が、シーザーの初期のキャリアを形作った。紀元前81年にアジアで最…
1970年代半ばのダニエル・デファートとミシェル・フーコー (Merve Verlag) フランスの哲学者のミシェル・フーコー(1926–84)は、裕福な上位中産階級の家庭に生まれた。1949年にソルボンヌ大学で心理学を卒業し、1951年に教職資格、アグレガシオンを修了し…
コラージュ / ジッドの家 ジッドとマークアレグロ アンドレ・ジッド(1869 - 1951)は、フランスの小説家。1893年、北アフリカを旅行。以後たびたび同地へ出かけ、一度作家のオスカー・ワイルドと会っている。この時期、娼婦との関係や同性愛を経験する。 彼…