シュールの本棚

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38 富豪の世界 日本財閥の解体(1945年)

東京都中央区日本橋室町 三井本館

 1945年(昭和20年)8月15日の終戦記念日からおよそ38日後の9月22日、米国政府から示された「降伏後における米国の初期の対日方針」で、「日本の財閥の解体を促進」すべき旨が記された。  通知を受けた三井、三菱、住友、安田の四大財閥は、連合軍の要請が強固なことが判るとともに、まず安田財閥が自発的解体案を提示した。日本政府はこれに基いて、11月4日、解体に関する政府案を総司令部に提出した。
●財閥家族の支配力排除
 1946年11月26日、総司令部の日本政府あて覚書「財閥家族の財産を持株会社整理委員会に移管する件」によって、それまで大蔵省が管理したのを委員会に移した。同委員会の手で行われた5項、83社にわたる財閥会社の指定や、以下7点の対象となる56名が指定された。
 1. 財閥家族姓を名のる尊卑三親等及びその家族。
 2. 年齢性別を問わず。  
 3. 所有有価証券、現金、預余等合計百万円以上。  
 4. 当該会社発行総株式数に対し、持株率10%以上の株式などの所有者。
 5. 所有家屋500坪、宅地2000坪、農地山林50町歩以上。  
 6. 企業支配力または経営発言力の程度。  
 7. 過去の経歴。
 委員会は、持株会社及び以上の指定者の所有する有価証券を譲り受け、これを証券処理調整協議会等を通じて分散化した。
 こうして巨大財閥から中小財閥にいたるまで、解体または再編成され、日本経済全体は、こま切れの如く小分割の姿となった。(資料「日本経済年報72集」東洋経済新報社 1951)