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1 CIAの作戦「朝鮮戦争」での失態(始まり)

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LIFE誌(1950.11.20)とベデル・スミス将軍

   第二次大戦中の1942年に設立されたOSS(戦略情報局)は、戦後その役割を終え、トルーマン大統領は1947年に情報組織を統合すべくCIAを発足させた。初めは情報収集を目的としたが、秘密工作も行うようになり、他国の政治に秘密裏に介入する形をとるようになった。従って、CIAの歴史を観察すれば、アメリカの影の政治史を学ぶことになる。

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 1950年6月25日、北朝鮮軍は38度線を越えて南側に侵攻し、「朝鮮戦争」が始まった。この戦争で、CIAは北朝鮮の侵攻を予測できなかっただけでなく、同年10月の「中国人民志願軍」(100万人)の参入も予測できなかった。

  1949年、CIAは米軍が韓国から撤退すれば、北朝鮮による攻撃の「可能性が高い」と警告したが、国防総省DOD)を含む政策者の多くは、これをCIAの「悲観論」として無視した。

 しかし予想外の中国軍の攻撃で、トルーマン大統領は、情報ミスのCIA長官のヒレンコエッター少将(10.7)を更迭し、ベデル・スミス将軍(在位1950.10.7-1953.2.9)に置き換えた。スミス将軍は、CIAを再編成し分析能力を確立した。彼のあとアレン・ダレス(在位1953.2.26~1961.11.29)が長官を引き継いだ。(資料 Michael A. Turner「米国情報局歴史辞典」2006.113p)

●CIAの中国不参戦説

 トルーマン大統領は、中国が国境を越えて来るかどうかが知りたがった。一方CIAは、中国の軍事状況をほとんど知らなかった。1949年10月に毛沢東が、中華人民共和国の樹立した時には、中国にいたアメリカのスパイは全員が香港や台湾に逃亡していた。CIAの調査も、戦争勃発時での400人のCIA分析官の報告の90%は、国務省にあるファイルの焼き直しだった。

 CIA本部は、中国の参戦はないと、トルーマンに言い続けていた。10月20日、「鴨緑江の中国軍は、水力発電所を防るために配置されている」と述べ、10月28日に「これらの中国軍は、散発的な志願兵だ」と伝えていた。10月30日に、米軍が中国軍の攻撃を受け、大きな損害を受けたときにも、「中国の大規模な介入はなさそうだ」と繰り返していた。それから数日後、敵の捕虜の兵士を尋問すると、彼らが中国軍の兵士であることが分かった。それでもCIA本部は「中国は武力での侵略はしない」と主張した。2日後、30万の中国軍が強烈な攻撃をしかけ、米・韓国軍は総退却を余儀なくされたのだった。(資料/ティム・ワーナー「CIA秘録」6章 文芸春秋 2008)