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4 CIAの作戦 グアテマラ・クーデター(1954)

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グズマン大統領とアルマス大佐

 1951年3月、グアテマラ軍と共産党の両方の支援を受けた元革命家のアルベンス・グズマン(1913-1971) が大統領に選出された。

 アルベンツ・グズマンは、組合の強化や、10万人の農民への土地の再分配などの経済的改革を開始した。このグズマンの改革には、米国に本社があるユナイテッド・フルーツカンパニーが所有するバナナ農園が含まれていた。彼はより多くの税金を支払うことを要求し、従わない土地を没収した。

 グアテマラ問題を引き継いだアイゼンハワー大統領は、土地の没収は「差別的で不公正な押収」だったと批判。ユナイテッド・フルーツは、CIAと密接な関係があったのだ。後に会社の取締役会に指名された元ユナイテッドフルーツの幹部のウォルター・ベデル・スミス将軍は、元中央情報局長官(DCI)だった。

しかし、アイゼンハワーは、バナナ企業の支援よりも、中央アメリカで共産主義を封じ込めることに関心を持っていた。

 ユナイテッド・フルーツの押収の翌年、グズマンがチェコから約2,000トンの兵器を購入した。これを知ったアイゼンハワーは、すぐにCIAにグズマン転覆を目的とした作戦を開始することを承認した。

 コード名「PBUSCCESS」であるグアテマラ大統領追放作戦は、数人のグアテマラ軍将校との一連の秘密の取り決め、グズマン辞任説得のためのスイスの銀行口座への送金の申し出などから始まった。

  CIAはまた、グアテマラ上空で反グズマンのチラシを投下する作戦を開始した。このグズマンに対する心理戦キャンペーンは、CIAの工作員エヴェレット・ハントによって率いられた。

●戦闘行為開始

 1954年5月24日、米海軍はグアテマラに対する封鎖を開始した。 6月15日、アイゼンハワーは攻撃に青信号を出した。 

 6月18日、反政府勢力の大佐カルロス・アルマス(1914-1957) 率いる約150人のグアテマラ駐在員、ホンジュラス人、ニカラグア人、およびアメリカの傭兵からなるCIA支援軍が、ホンジュラス国境を越えてグアテマラに入り、グアテマラシティで行進を始めた。

 アルマスの部隊はCIAによって訓練されていたが、6,000人のグアテマラ軍と空軍に匹敵しなかった。しかし CIAが後援するラジオが、兵力を大いに誇張されて伝えられた。

 この戦略で、グズマンの軍事司令官の多くをパニックに陥った。地上攻撃が開始され2週間も経たないうちに、グアテマラ空軍の司令官は、反グズマン放送に不安を感じ、ニカラグアに亡命し、パイロットにも同調を促した。この行動により、グアテマラ空軍全体を座礁させることを余儀なくされた。これに対し、CIAパイロットは制空権を獲得すると、軍事施設の爆撃と機銃掃射を開始した。

 6月25日までに、グアテマラ軍兵士のほとんどは戦うことをあきらめていた。 2日後、グズマンは辞任し、メキシコに逃亡。アルマスは大統領になった。その結果、農地改革政策は取り消された。CIAのラテン・アメリカのクーデターの成功は、次に何をもたらすのか?((資料 Thomas Smith, Jr. Encyclopedia of the Central Intelligence Agency 2003)