1 有名人のスパイ サマセット・モーム(始まり)
イギリスの小説家サマセット・モーム(1874 -1965)は、1914年第一次大戦で赤十字野戦病院の運転手になった。その後、ドイツ語とフランス語に堪能だったため、1915年に英国の情報局の代理人として採用された。彼はスイスに行き、そこで約1年間、ドイツのスパイ容疑者を監視し、他の連合国のエージェントと連絡を取り、情報局に定期的に報告した。 彼は愛国的な振る舞いとして無給で働いた。
1917年に、彼は情報局員のキャリアが終わったと信じていた。ときに、アメリカの英国情報部長であるウィリアム・ワイズマン卿(1885– 1962 )は、ボルシェビキが第一次大戦に反対し、ロシアを戦争から撤退させる計画を阻止しようと考えていた。そこで、その任務のため、モームをロシアに行くよう説得した。モームは米国の出版物のライターを装いロシアに行き、ロシア臨時政府の陸海軍相であったケレンスキー(1881-1970)と会い資金援助を行う。ケレンスキーは、連合国に反ボルシェビキ軍を育成するよう要請し、モームをロンドンに送った。
モームは、彼の経験に基づいて多くの物語を書いた。ロシアへの秘密任務で公開可能な部分は、「アシェンデン」(1928)に掲載された。彼は「アシェンデン」の序文に「情報部門のエージェントの仕事は、全体的に単調で、その多くはめったに役に立たない」書いた。
タイムス文芸付録は「アシェンデン」について「防諜活動が、道徳的に弁護できない仕事で構成されることが多いが、これほど明確に示されたことは、これまでもそれ以降もない」と述べた。
モームは、第二次世界大戦中も、米国のMi-6の責任者ウィリアムスティーブンソン卿のために、いくつかの情報活動を行つた。
資料 Norman Polmar「スパイブック」1997