シュールの本棚

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1 戦争経済「終戦処理費」という名の占領費 (1945-50) はじまり

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日本占領下の米軍によって発行された軍票(1945-51)

 戦争には、規模によっては国家予算の何年分という膨大な費用がかかる。しかしその費用をあらかじめ用意しておくことができないのが現実である。さて戦争に負けた場合には、さらに賠償や復興に金がかかる。では太平洋戦争で無条件降伏した日本では、どんな費用が必要だったのか?

 以下は島恭彦「軍事費」の要約である。

 占領軍が直接利用する兵舎、住宅、病院、土地等の不動産についには、強制約に接収するという形が行われていた。

次に調達には代価の支払いが必要とされるが、占領軍はどんな通貨でこれを支払おうとしたのか。彼らはドルで支払うのは問題があるので、日本の占領地域に対して「軍票」を用意してきた。しかしこれは一時の間に会わせにすぎなかった。それで軍票が流れだすのをみて、政府はあわててマッカサーに軍票使用の中止を陳情し、占領軍に対して、日本銀行券を引き渡す用意のあることを表明した。

 政府は、占領軍の要求する資金を日銀からの一時借入金でまかない、これを「終戦処理費」という名の財政支出に切りかえた。この「終戦処理費」が予算に計上されたのは、日本の政治経済がなんとか維持できてからであるが、「終戦処理費」がいきおい巨大な規模に達したため、それが戦後のインフレに拍車をかけるととになった。その額は昭和21年度の368億円から、昭和24年度の1252億円に上昇する。

 ただし「終戦処理費」の名目で、各地の工事に疑問のある実例が記載されている。たとえば、寄木張の床をもつ朝霞地区ダンスホール改築工事、その内に食堂、バー、ダンスホールがあるもの。2億円かかった京都附近のゴルフ・コース、造園費に十億円をかけ、日本政府が請負業者から一匹300円の金魚を買上げ、各戸に配布している軍居住地区の話など。占領軍自身も、その後占領費の節約につとめるようになったが、それは、占領目的が日本の非軍事化から日本経済の復興へと推移が移ったためという。(島恭彦「軍事費」岩波新書 1966 )