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8戦争経済 湾岸戦争の規模と戦費(1990.8~1991.2)

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C-141輸送機に装備品を積む兵士たち

 1990年8月2日のイラクサダム・フセインによるクウェート侵攻をきっかけに、アメリカを主力とする多国籍軍の派遣が決定した。軍事空輸軍団((Military Airlift Command,MAC)の司令官HTジョンソン将軍は、兵士と装備品を運ぶため、265機のC-141と85機のC-5のすべてと、CRAF(民間予備航空隊)を使用した。そして24時間体制で7分ごとにサウジアラビアの北東部にあるダーラン空軍基地に着陸した。アメリカはサウジアラビアの東のバーレーン国内に軍司令部を置き、延べ50万人の多国籍軍サウジアラビアイラククウェート国境付近に進駐を開始した。この「砂漠の盾作戦」は、1990年10月までに22万人の軍隊とその装備が移動された。 
 
 1991年1月17日に、国連の武力行使容認により「砂漠の嵐」作戦が開始され、イラク空爆が始まった。
 MACは120か所から中東の砂漠に軍隊と物資を搬送した。その後の海上輸送と合わせ、歴史上最大の軍事力の増強を可能にしたのだ。戦略的空輸は2万500回のミッションで、53万4,000人の兵士と54万2,000トンの貨物を運搬した。2月24日かrの地上侵攻で米軍の暗視装置によりイラク軍を撃破した。
 この戦争は、ITとロジステック技術の粋を極めた戦争で、予想を覆して2ヶ月という短期間で決着がついた。2月27日のクウェート解放後も、戦略的および戦術的な空輸は依然として空輸が続けられた。(「デフェンス・メディアネットワーク」2022.1.31) 戦争の被害はイラク側の死者は市民を含め3万人以上に対し、多国籍軍は約381人との説がある。
●費用
  米国への戦争の費用は、1992年4月の米国議会によって611億ドルと計算された(2019年の1,020億ドルに相当)。
その金額の約520億ドルは、他の国々によって支払われた。クウェートサウジアラビアおよびペルシャ湾の他のアラブ諸国によって360億ドル。ドイツと日本からは160億ドルが支払われた。
 サウジアラビアの貢献の約25%は、食糧や輸送などの軍隊への現物支給で支払われた。米軍は総勢力の約74%を占めていたため、そのコストは高かった。(資料 英文ウィキ)