シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

2 戦争経済 朝鮮戦争特需の光と闇 (1950-55)

f:id:danbuer:20220127085901j:plain

韓国釜山に陸揚げされる援助物資(1952.4 National Archives)

 第2次大戦後の日本の経済を救ったのは、1950年6月の「朝鮮戦争(1950-1953)」の「朝鮮特需」がもたらしたといわれる。連合軍の中枢を担うアメリカ軍は、日本にある基地から爆弾、燃料、食料などの物資を戦場へと送り届けた。そしてそれらの物資は「朝鮮特需」として民間の業者に発注された。この発注の仕組みについては、島恭彦「軍事費」を参照した。

 朝鮮特需の額は戦争開始1年目と2年目に、それぞれ3億ドルをこえる最高水準に達した。一年目の調達物資の一位は繊維関係で、土嚢用麻袋、毛布、綿布、衣類などであり、2位はトラック、鉄道貨車、蒸気機関車などの運輸機械、3位はナパ―ム弾用タンク、燃料タンクなど金属製品であった。

 2年目には金属製品がトップになり、新しい契約や完成兵器の発注が注目をひいた。2位は繊維品、3位は運輸機械であったが、その内容は自動車部品が主要なものとなった。このほか薬品類の需要が4位になった。

 朝鮮特需によって、開戦後わずか一年たらずで日本の鉱工業生産の水準は戦前 (昭和9-11年)を上まわった。なかでも機械(自動車、貨車、船舶)、金属〈鉄鋼〉工業の生産上昇がとくにきわだち、それに比べ、繊維、食料工業などはまだ戦前の水準以下で、産業構造の中の不均等がひどくなってきた。また1957(昭和27年)以後の特需減退期に入ると、特需が大企業に集中しはじめ、独占企業が兵器国産を推進する下地をつくった。

 ここで特需経済の問題点を考えると、米軍の直接調達があった。終戦処理費による調達は、日本の特別調達庁が入るので直接調達の欠陥をカバーできたが、特需はそうではない。米軍が日本で調達するのは、アメリカ国内よりも格安だからで、特需は「出血受注」をしばしば引き起こした。また一方的な発注打切りや変更による損失の補償は行われなかった。

 また直接調達には米軍の法規が適用され、日本では経費や損金あつかいをうけるものが、認められなかったことがあげられる。また「特需インフレ」がおこり、物価はひどく上昇した。(島恭彦「軍事費」岩波新書 1966 )