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22 有名人のスパイ  暗殺チーム マイク・ハラリ

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映画「ミュンヘン」とハラリ

 モサドイスラエル総保安庁)及びシンベト(イスラエル総保安庁)に所属していた諜報員マイク・ハラリ(1927-2014)は、1948 年5 月のイスラエル建国と同時に情報工作員となった。   

 後に国内情報機関シンベトの諜報員として、2 つの事件に関わった。1つは、1972 年のミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手団11 名の殺害に従事した「黒い九月」のメンバーの暗殺。スピルバーグ監督のスパイ映画「ミュンヘン」(2005)で話題に。メイア首相は、この任務をイスラエル対外諜報局「モサド」に命じた。モサドのツヴィ・ザミル長官は、作戦部局の上級工作員のマイク・ハラリらを呼び、暗殺部隊の指揮を命じた。ハラリは、選りすぐった男女工作員でチームを構成し、パリに欧州コマンド基地を設置した。

 最初の殺害は1972年10月で、ローマ在住のパレスチナ人である。暗殺チームは10ヶ月のうちに、テロに関与した12人のパレスチナ人を殺害した。最後に暗殺チームは、ノルウェーリレハンメルで仕事をした。しかしこのあと、違う男を射殺していたことがわかった。ノルウェー警察がモサドの部隊を追い詰め、ハラリは逃走に成功したが、彼の部下は捕えられた。捜査の過程で報復作戦の詳細が明らかになり、逮捕されたモサド工作員6名は短期間の懲役についた。

 ノルウェーで犯した失態の後、ハラリはメキシコシティーに配属される。この地域における接触先のl 人に、パナマで独裁体制を敷いていたトリホス将軍(1929 - 1981)の部下で、情報部門のノリエガ大佐(1934 - 2017)がいた。すでにイスラエルの情報活動から引退していたハラリは、ノリエガの側近となり、イスラエルの兵器をパナマに売却する活動で巨富を築いた。

 1988年、アメリカが麻薬密売でノリエガを非難した際、ハラリとノリエガの関係について噂が広まった。翌年12 月にアメリカ軍がパナマへ侵攻すると、ハラリが共犯として逮捕されたという噂になった。しかし彼はパナマから脱出し、イスラエルに戻っていた。(資料 Spy Book-The Encyclopedia of Espionage. Random House,1997)