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10 有名人のスパイ  ゲシュタポ長官ハイドリヒ

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ハイドリッヒと、彼の謀略で処刑されたトハチエフスキー

 ラインハルト・ハイドリヒ(1904 - 1942)は、ゲシュタポ長官及び親衛隊諜報部(SD)長官。

 彼が頭角を表したのは、1934年6月30日、SA(突撃隊)のエルンスト・レーム一派の粛清に当たってニセ情報、偽造文書をパラまいてレームの陰謀を信じ込ませ、ヒムラーのSS(親衛隊)によって血の粛清を実行させたのである。

 ハイドリヒの対外情報工作が最も成功したのは、1937年のトハチエフスキー事件をでっち上げたスターリンに対する謀略である。

 1936年の暮れ、SS公安情報部(SD)は、スターリンを武力で追放しようとするグループがあるという情報をパリの亡命ロシア人から得た。首謀者は国防委員会副会長トハチエフスキー元帥(1893 - 1937)であり、ドイツ参謀本部の支援を歓迎するというのである。

 これを知ったハイドリヒは、ベルリンで偽造文書の工房を持つナウヨクスとSD東管区のヘルマン・ベーレンツ大佐を呼んだ。そして二人に、赤軍将官ドイツ国防軍情報部と共謀して、政権奪取を企てている証拠書類を偽造するよう命じた。

 書類全体には、カナリス提督の軍情報部のスタンプが押され、カナリスからヒトラーへの個人的覚書が添えられた形のものであった。偽造文書は4日間で仕上げられた。ハイドリヒはベーレンツ大佐をチェコのベネシュ大統領にコンタクトし、証拠の文書が存在することをソ連首脳に伝えるよう工作した。ソ連は敏感に反応し文書の買い取りに300万ルーブルを支払った。

  1937年5月11日、トハチエフスキー元帥は国防委副員長を解任され、6月11日のタス通信は元帥他7名の赤軍将官が死刑宣告され、直ちに執行されたと報じた。これをきっかけに赤軍の大粛清が始まり、一年間に全赤軍将校の半数にあたる約3万5千人が処分された。