シュールの本棚

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21 有名人のスパイ  富豪アーマンド・ハマー

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             ブレジネフとハマー

  アーマンド・ハマー  (1898-1990)は、人生の大半をソビエトとの違法取引に関わったアメリカ人実業家。1957年から晩年まで、石油会社オクシデンタルを経営。アメリカとソビエトを結ぶ民間大使とされることが多いが、実際にはソビエトのためにマネーロンダリングをしており、アメリカ国内におけるソビエトの諜報活動にも関与していたという。

 1980年11月、フランス情報機関SDECE のマランシェ長官は、レーガン次期大統領に、ハマーがソビエト情報機関の職員と接触していたとして警告した。

  ハマーとソ連との関係は、父親からレーニンに宛てた紹介状を携えてモスクワを訪れた1921年に始まる。父親はロシア系アメリカ人ので、レーニンの友人であったジュリアス・ハマー医師で、製薬企業を所有する富豪だった。

 アーマンドはロシアに対する連合国の封鎖期間中、父親の製薬会社が密輸した薬品の未収代金15 万ドルを回収すべく、モスクワへ赴いたのである。レーニンはハマーを説得し、高収益が見込めるソピエトとの長期間にわたる貿易協定を結ばせた。1924年、この協定はハマーとソビエトの合弁企業アムトルグ(アメリカ貿易会社)として結実する。ハマーにとってアムトルグは商取引だったが、ソピエトにとっては、合法的な貿易と調達、そして諜報活動を実行する組織だった。

 アムトルグの職員の多くは諜報員で、産業や軍事情報を盗み、アメリ共産党に所属する人間を調査員として勧誘することを目的としていた。ハマーは、自分をソビエトとの「橋渡し役J としながらも、ソビエトの諜報活動に協力する立場を続けたのである。冷戦時にも、アメリカの対ソ連貿易の中心的な存在であった。1990年12月に92歳で死去。(資料「スパイ大辞典」論創社 2017)