シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

16 モスクワの盛衰 1980年オリンピック

f:id:danbuer:20210516135658j:plain

クトゥゾフスキー通りの凱旋門での聖火リレー(1980.7.18)

 1980年モスクワオリンピックは、1980年7月19日から8月3日までの16日間、ソ連の首都モスクワで開催された。共産圏、社会主義国では初の開催となった。モスクワ大会には80か国が参加し、1956年以来最小だった。
 冷戦下のソ連で行われたこの大会は、前年1979年12月に起きたソ連アフガニスタン侵攻の影響を強く受け、集団ボイコットという事態に至った。
 米国を中心に、日本、中国、イラン、サウジアラビアパキスタン、エジプト、および反共的立場の強い66か国が大会をボイコット。一方でイギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。ソ連は最も多くの金メダルと全体的なメダルを獲得し、ソ連東ドイツは利用可能な203個の金のうち127個を獲得した。
 アメリカのテレビ局NBCは、米国のボイコットに応じて報道をキャンセルした。
●モスクワの対応
 1980年のオリンピック大会には、22万6,000人以上の外国人が観戦した。
モスクワの店での豊富な食料は、輸入ソーセージやタバコ、チューインガム、「ストロー付き」ジュース、アルミ缶のビールを自由に購入でき、市民の思い出の1つになった。治安対策にアルコール依存症者、売春婦、反体制派、攻撃的な精神病患者、犯罪者は首都から追い出され、子供たちを開拓者キャンプに送るよう強く勧められた。代わりに、街はソビエト連邦からの民兵KGBエージェントでいっぱいだった。(資料 https://lenta.ru )