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18 CIAの作戦 9.11攻撃予測の失敗

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「9.11百科事典」表紙とCIA長官テネット

 2001年9月11日の朝、アルカイダがおこなった同時多発テロ攻撃で2,977人が死亡した。 米国本土でのテロに対する監視はFBIの責任だったが、CIAは国際的な情報収集の責任があった。いずれにせよ、事件は未然に防ぐことが出来ず、CIAもFBIも面子を潰した。

 この事件が防止できなかった一番の理由は、両方の組織が情報を共有していなかったことがあるといわれている。以下はCIAの事情である。

 1990年代の初めと半ばに、CIAはスタッフを20%削減することで、人的能力を低下させた。1990年代後半までに、現地の工作員の数を欠いていた。 言語スキル、 そして組織への介入によってテロ活動の動きを探知することの重要性はわかっていたものの、CIAは、友好的な諜報機関と政治部門からの情報報告に依存していた。

  現地のエージェントは、テロ組織との接触を失うことを恐れ、CIAがFBIと情報を共有することに消極的だった。この恐れの一部は、2つの機関の役割の違いがある。情報の共有が情報の発信者を危険にさらす可能性があるため、CIAは重要な情報の共有を望まなかった。またCIAが問題を抱える人物を採用する際に、本部からの事前承認を求める必要から、諜報員の採用が困難になった。この決定は、グアテマラでのCIAの情報提供者が殺人に関与したことで、何百人もの有給の情報提供者がCIAから解雇された。

 中東の現地工作員の活動は、このパージで終了した。この制限は2001年9月11日も引き続き実施されていた。CIAのエージェントは、1998年以来、ビン・ラディンアフガニスタンでの活動を監視する30人のアフガニスタン人を募集することができた。彼らはそれぞれ、この任務で月に1万ドルを受け取った。
 テロ対策センターと、そのアレックステーション・ユニットのアナリストは、アフガニスタン工作員やミサイル攻撃を使用して、ビン・ラディンを無力化する作戦を何度も提案した。しかし、これらの操作はいずれも承認を受けなかった。問題の一部は、ビン・ラディンがとらえどころがなく、不規則な時間に移動していたことがあった。国内および国際世論を怒らせ、巻き添え被害の恐れもあった。

 クリントン政権(1993 - 2001.1) は、CIAを信頼しておらず、決断力の欠如によって麻痺していた。CIAデッチ長官を引き継いだジョージ・テネット(任期1994.7 - 2004)は、クリントン政権からブッシュ政権に移行するまで、ビン・ラディンアルカイダの危険性について、絶えず両政権に警告していた。そこでクリントン政権はテロの脅威を認識するようになったが、テネットはブッシュ大統領との協力関係を築くことができたが、テロとの戦いの対策に間に合わなかった。CIAの監察官の報告書は、テネットが、CIAの総合的戦略の欠如に対して「究極の責任」を負っていると述べた。(資料 The 9/11 Encyclopedia CBC-CLIO.LLC 2011)