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7 CIAの作戦 カストロ暗殺計画(1960–65)

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カストロと彼の墓

   1959年のキューバ革命アメリカの傀儡バティスタ政権を武力で倒し、キューバ社会主義国家に変えたカストロ(1926 - 2016)は、何十年にもわたってアメリカに敵対してきた。

 彼はすぐに、労働組合の組織化と支援を地元の共産党に求めた。さらにカストロは、外国人投資家を動揺させる数々の抜本的な経済改革を開始した。改革の主なものは、アメリカの私有地の収用とソ連との石油協定だった。

 一方、CIAでは、カストロ暗殺またはキューバ反革命のいずれかの計画を実施し始めた。

   そして米国は、キューバに対する貿易禁輸措置を開始し、1961年1月3日、キューバとの外交関係を断ち切った。 4か月後、1,500人を超えるキューバの亡命者が、CIAが後援する作戦で、キューバの南西海岸線沿いのビーチを襲い始めた。

 11月、アメリカのキューバ侵攻失敗。それでもケネディは、CIAにカストロを権力から排除する目的のコードネーム「マングース作戦」を開始する許可を与えた。

 このプロジェクトには、妨害行為、準軍事的作戦、心理戦、米軍の直接介入も含まれていた。

 1962年10月に始まったキューバ・ミサイル危機は無事片付いたが、 カストロの暗殺計画はさらに3年間続いた。

 1975年に上院チャーチ委員会の公聴会での調査結果によると、CIAは1960年から1965年にかけてカストロを暗殺するために8つ以上の政府認可の計画に関与したとされる。この殺害計画には、葉巻タバコにボツリヌス菌を染み込ませるものと、ボールペンに隠された皮下注射針でボツリヌス中毒を注射する方法が含まれていた。どちらの試みも実現しなかった。

 カストロを殺害する任務のために、CIAの作戦副局長はマフィアに委託することを決定した。 CIAはその仕事に15万ドルを支払う用意があった。暗殺計画はカストロが一線を退いた2006年までに638件にも上ったが、彼は90歳まで生きのびた。