シュールの本棚

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6 CIAの作戦 インドネシア作戦(1957-8)

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スカルノ大統領

 1950年代後半、CIAの秘密作戦の専門家であるフランク・ウィズナー(1909 – 1965 )は、インドネシアスカルノ大統領の反米感情共産主義への共感の高まりが、米国にとって脅威であると言及していた。そこでCIAは、スカルノ政権に対しての否定的宣伝活動を行うことから始めた。 この作戦の中でよく知られているのは、スカルノ大統領(1901 - 1970)に似た人物を登場させたポルノ映画を制作したのがある。映画とその写真がインドネシア全土に配布された。しかし人びとの関心はゼロ。スカルノが政府内で共産党の代表を増やす意欲があるため、CIAはより実質的な隠密行動を採用するようになった。反乱勢力との最初の接触は、57年4月頃に始まり、CIAを通じてスマトラの反乱勢力へ5万ドルの資金援助が行われた。

1958年、CIAはスカルノ弾圧のため、インドネシア軍の将校軍団内で不運な反乱を後援した。この地域にはCIAの工作員はいないので、CIAは、歩兵兵器、準軍組織の顧問、およびCIA専有の民間輸送会社(CAT)のパイロットによる、B-26爆撃機での反乱軍の将校に支援を提供した。北スラウェシ島のマナドからB-26航空機を運用し、反乱軍を支援した。

 5月18日、CATパイロットのアレン・ポープは、スカルノの軍隊に対し爆撃任務を遂行しており、礼拝中に誤って教会を攻撃し、会衆のほとんどを殺害した。そのため、インドネシア軍に撃墜され逮捕される。短い裁判の後、ポープは死刑を宣告された。スカルノに忠誠を誓う軍隊は、反政府勢力の拠点パダンとマナドへの空と海からの侵攻を開始した。そして1958年の終わりまでに、反乱軍は敗北し、CIAの作戦は失敗した。