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5 CIAの作戦 ベルリン・トンネル (1953–56)

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トンネル部品の一部(左)と発見現場(右)

 コードネーム「OPERATION GOLD」のベルリントンネル(1953–56)は、西ベルリンのすぐ内側から東ドイツの奥深くに伸びるCIA-MI6地下通信監視施設である。 CIAとMI6によって計画されたトンネルは、東西ベルリンの国境を越え、ソビエト東ドイツの電話ケーブルの真下まで伸びていた。 同じく地下にあるケーブルは、MI6(英国秘密情報部)の職員によって盗聴された。

 トンネルの入り口(西部)は、地上の米国のレーダー基地によって隠されていた。狭い機器移動レールラインがトンネルの奥まで伸びていおり、電話送信を盗聴する増幅装置は、東端の立入禁止区域である通信室に配置されていた。1953年にアメリカ陸軍工兵隊によって地下6m、長さ450mのトンネル工事が始まった。

 プロジェクトは完了し、1955年に運用が開始された。トンネル内のMI6職員は、ほぼ1年間(55.5~56.4)、東ベルリンのソビエト軍事本部とモスクワの間の通信を監視できた。

  冷戦の西側で最も野心的な諜報活動の1つとされていたトンネルは、英米ソ連軍部隊に関する諜報を収集することを可能にし、ソビエトが西側への侵攻を計画していた場合には警告を発したと考えられる。

 1956年に、東ドイツの電話修理業者によって発見されたとき、ソビエトはジャーナリストに施設の視察を依頼し、国際法に違反するとして宣伝活動を行った。 

 後に、MI6とKGBの二重スパイ、ジョージ・ブレイクが、ソビエトの雇用主にその作戦のことを明らかにしていたことがわかった。興味深いことに、KGBは傍受されたメッセージが、解読されることに気づかず、GRU(ソビエト軍事情報部)に通知しなかったという。