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9 CIAの作戦 キューバミサイル危機 (1962)

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ソ連製の地対空ミサイルとU2偵察機

 キューバミサイル危機は、キューバでのソビエト中距離核ミサイルの配置をめぐる、米国とソ連邦の間の対立である。

 1962年7月から8月にかけて、ソ連の貨物船がキューバの港に出入りするため、アメリカ軍は、キューバ近海の公海を往来するソ連の船舶やキューバ基地をロッキードU-2による偵察飛行を強化していた。U-2機は、CIAの資金で開発され、1955年8月に1号機が初飛行して以来、アメリカの貴重な情報収集手段となった。

 CIAの調査の結果、4000~6000人のソ連人がキューバに入国していると結論した。1962年9月20日キューバ難民から裏付けとなる情報を受け取った。それによると、彼はキューバのトラックに、ソ連の中距離弾道ミサイルの特徴と一致するミサイルを見たという。CIAの国立写真解釈センター(NPIC)は、1962年10月14日に米国を攻撃できるミサイルを発見し、10月16日、CIAはケネディ大統領に、偵察写真によりソビエトミサイルがキューバに配備されたことを通知した。

 同年10月27日、ケネディ大統領は全国テレビに出演し、キューバ向け船舶の「海上封鎖」を発表した。ケネディ大統領の行動は、特にキューバに向かうソ連船が封鎖に反対した場合、ソビエトとの本格的な核戦争が起りえるとの懸念を強めた。27日昼頃、キューバ上空を飛ぶU-2偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルで撃墜された。連邦捜査局(FBI)のエージェントは、ソビエト外交官が交渉の終結を見越して文書を燃やしていると報告した。

 事件のたびに、米国とソ連は核の対立に近づいた。しかし、激しい外交交渉の後、10月29日にモスクワは妥協し、キューバからのミサイル撤去に同意した。これは、キューバに侵入しないことと、直接ソ連領内に向けられているトルコ国内の核ミサイルを解体するというアメリカの誓約と引き換えであった。