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13 有名人のスパイ ジョセフィーン・ベーカー

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ジョセフィン・ベーカー 1927年パリ

   セントルイス出身のアフリカ系アメリカ人の歌手ジョセフィーン・ベーカー(1906 - 1975)は、1925年10月2日、パリのシャンゼリゼ劇場に出て「レビュー・ネグロ」に加わる。ここで彼女のチャールストンを目にしたパリの観客を虜にした。1937年彼女は人種に自由なフランス市民となる。

 1939年に始まった第二次大戦時に、ベーカーはフランスのために「通信員」として働くことをもちかけた。彼女ならパーティで聞いたゴシップを報告することができる。ベイカーはフランスの軍事情報機関ドゥシエム局に「名誉ある通信員」になった。パリのフランス防諜部長ジャック・アブテイに指示を受けた。彼女は大使館、省庁、ナイトクラブでドイツ人と交流し、彼らを魅了して情報を収集した。彼女はパーティーに出席し、疑いを持たれずにイタリア大使館でも情報を収集した。

●ドイツ軍のパリ占領

 1940年6月にドイツ軍の進駐を避け、ベーカーは占領軍のいない南フランスのミランド城に移り住んだ。ここで彼女は公演を続け、その一方でユダヤ人を迫害と処刑から隠したが、その後そこはヴィシーの傀儡政権によって支配された。

 彼女の活動範囲は、スペインとポルトガルも含まれ、楽譜に見えないインキで記したメッセージを書き込んで運んだ。

1941年の初め、彼女とその取り巻きは北アフリカのフランス植民地に移動した。表向きは療養だが、本当はレジスタンスを助けるためだった。1941年6月から1942年12月まで、カサブランカで治療のため入院した。彼女の病室は、情報収集の場所となり、特に「トーチ作戦」に備えた。この作戦で、連合軍は1942年11月に北アフリカに侵入した。

 病気から回復後、彼女はフランス女子補助空軍の少尉になった。ベーカーは戦争協力を続け、そして北アフリカと中東で自由フランス軍を楽しませた。彼女の努力により、ドゴール将軍よりレジオンドヌール勲位を授与された。

出典 Encyclopedia of American Espionage(2011)