16 ベルリンの盛衰 ベルリン大空輸
1948年6月23日、ソビエト政府は西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した。封鎖は1948年6月23日の午前0時に始まり、ベルリンの西側連合国の影響力を弱めるため、電力を削減し始め、翌日、すべての民間道路、鉄道、および船の交通を停止した。
ソ連による完全封鎖の開始後、西ベルリンでは燃料や食糧だけでなく、石鹸やトイレットペーパーなどの必需品や、薬品が欠乏し、市民生活が危機に陥ることが予想された。そこでアメリカとイギリスを中心とする西側は、アメリカ空軍が立案した物資の空輸作戦を実施することになった。
6月26日、ヴィースバーデンとラインマインの両基地から45トンの物資をテンペルホーフ空港に輸送し、空輸作戦が開始された。C-47輸送機は100機以上が集められ、ベルリンまでの輸送任務に就いた。
西ベルリン市民が必要とする食料は1日あたり、約1,439トンと見積もられた。このほかに燃料の石炭やその他の生活必需品などが1日あたり約3,000トンと見積もり、空輸の最低量は1日4,500トンと設定された。
これを満たすために、C-54輸送機が続々と追加派遣され、ベルリン大空輸の主力となった。
ベルリン大空輸に際しては、英米のほかフランスも当初参加していたが、早期に作戦から外れた。
●封鎖解除
空輸作戦の成功で、ソ連によるベルリン封鎖は1949年5月12日に封鎖は解除された。解除後も空輸作戦はしばらく続けられ、1949年9月30日に終了した。1948年6月26日からの総飛行回数は27万8000回、空輸物資量は232万トンに達した。
資料「ウィキペディア」、BERLIN AIRLIFT by John Provan, Paladwr Press,1998