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14 パリの盛衰 ナチス・スパイ?ココ・シャネル

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「敵と眠る:ココ・シャネルの秘密戦争」表紙

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左よりウェストミンスター公、ココ・シャネル、W・チャーチル(GETTY IMAGES)

フランスのファッションデザイナーのココ・シャネル(1883-1971)の伝記で、彼女のナチス・スパイ説が報じられてすでに9年。当時は各新聞社が一斉に報道した。ここでは、ロイター通信の当時の記事を紹介する。
(ロイター発2011.8.17)8月16日に米国で出版されたココシャネルの生涯についての新本は、フランスのデザイナーが第二次大戦中にコードネーム「ウェストミンスター」のスパイとして、ナチスと協力したという主張を強化している。
ハル・ヴォーンの著書『敵と眠る:ココ・シャネルの秘密戦争 “Sleeping With The Enemy: Coco Chanel’s Secret War,”』は、シャネルがドイツ人将校で諜報員のハンス・フォン・ディンクラーゲを愛しただけでなく、彼らはマドリッドとベルリンへの任務を遂行したスパイだった。さらに、本はシャネルが反ユダヤ主義であったと主張する。
出版社は、「作者は、シャネルが単なるナチスの共感者であり協力者ではなかったことを明らかにした。彼女はドイツの軍事諜報機関アプヴェーアで働く番号付きのナチスエージェント」と述べた。
しかし、シャネルのファッションハウスの代表は、この本の主張に疑問を投げかけている。
 彼女のアプヴェーアのエージェント番号はF-7124、コードネームは「ウェストミンスター」で、彼女が恋愛関係にあったウェストミンスター公にちなんで名付けられた。彼女は長い間スパイであると推測されていたが、フランスの裁判官からナチスドイツとの関係について質問された後、釈放された。 この本は彼女の法廷証言の抜粋を印刷している。なお、Biography.com (2020.6.15)のココ・シャネルの記事によると、彼女がナチに協力した動機として、1940年にドイツ人捕虜収容所に収容された甥のアンドレ・パラッセの釈放だったと記されている。また彼女のスパイ説は、日本語版ウィキペディアにも詳しい。https://ja.wikipedia.org/wiki/ココ・シャネル