13 パリの盛衰 ギロチンによる最後の公開処刑
1939年6月17日の早朝、オイゲン・ワイドマンはギロチンによって公開処刑された最後の人物になった。 彼はアメリカ人の社交家を含む、複数の誘拐と殺人で有罪判決を受けた。
死刑を宣告されたワイドマンは、1939年6月17日の朝、ギロチンが置かれているサンピエール刑務所の前に連れ出された。
そこには、叫び声を上げる群衆が待っていた。ワイドマンはギロチンに向かうと、死刑執行人は遅滞なくブレードを落下させた。
その後、群衆は処刑を遅らせて、写真と映画を撮った。
処刑の後、当局は「公開処刑は抑止力として機能するどころか、逆に人間の本能を刺激した」と信じるようになった。こうした観客による「ヒステリックな行動」は、非常にスキャンダラスだったため、ルブラン大統領はすぐに今後の公開処刑を禁止した。
ギロチンは公開処刑が禁止されたあとも使用され、1792年から1977年までの185年間に数万人の処刑に使用した。(なおナチス占領下1940-44ではレジスタンス運動などで2948人が処刑された)その後フランスは、1981年に死刑制度を廃止した。(資料 Rare Historical Photos 2014.3.31)