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8 「仏教の秘密」中国仏教衰退史

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中国で4度行われた廃仏 コラージュ

秘密8 中国はなぜ仏教が興隆し、そして衰退したか  

東洋学者の稲葉岩吉(1876-1940)が「支那社会史研究」7章の「経済史より見たる支那仏教徒の地位」に述べている。

●中国仏教の盛衰

1. 漢代の仏教宣伝が主に国都で行われ、国都を出でなかったが、漢末に三国の内乱があり、国都の不安が機縁となり、仏教は四方に流れ出ることとなった。

2. 外族侵入による漢族の大移動につれて、仏教は南方支那に伝播した。

3. 唐代仏教の盛衰。唐初の仏教は、真に有望であった。それが中唐に入るとしばらく衰え、晩唐になると、その大部の勢いを失い、わずかに禅や浄土の一二宗のみが残留することとなった。

□衰退の原因

仏教は伝来の関係上、王者の保護に依存し、宣伝を貴族間に傾注した。王者貴族が衰退する唐末では、仏教徒の凋落は必然である。禅の一宗のみが、その残ったわけは、当時の軍人階級がその信徒となり、それを利用したからである。宋代よりは元、元よりも明、明代よりも清と、一代ごとに仏教の地位が低下した。 仏教徒の数の増加は、宗教に対する内面的信仰以外に、民衆が度牒(どちょう=国家公認に交付される僧尼の身分証)獲得による特権を得ようとする欲望、徴兵回避や、力役税回避のために、仏教を利用した。 国家と仏教徒との葛藤は、この事情があり、貴族政治時代において国家は度牒を乱発した。試みに支那貴族の階級は、宋代(960 - 1279年)になってその地位が衰退すると、それに比例して仏教が衰退。次に国家は度牒発行に制限を加え、南宋(1127 - 1279年)になると信侶に課税するようになると、度牒のもつ特権を失い、仏教の衰退に拍車をかけた。(182頁)出典 稲葉岩吉著「支那社会史研究」(1922)