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23「仏教の秘密」 歓喜仏

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北京にあるチベット仏教寺院雍和宮歓喜仏(合成)

秘密23 帝王が実践した儀式

 日本の歓喜天(かんぎてん)は、一般に、夫婦和合、子授けの神として信仰されている。この神は元の時代に時の帝王によって「歓喜仏」として祀られていた。

歓喜仏の由来

 歓喜仏はもともと古代インドの毘那夜迦神(Vinayaka、無上)のことで、人身で頭は象の形。歓喜仏は本来悪神であったが、観音菩薩が女性に変身して毘那夜迦を調伏に来た。毘那夜迦はこの女性を抱きたいと願ったが、美女は代わりに仏教を守護するように求めた。毘那夜迦はこの美女を抱いて交わると歓喜を得た。これにより毘那夜迦は仏法を信奉し、歓喜仏となった。

●中国の歓喜

 歓喜仏は北京の雍和宮(ようわきゅう)にあるのが有名である。歓喜仏のもっとも初期の記事は、南宋(1127-1279) 晩期の鄭思肖(1241~1318)の「心史」下巻「大義略叙」にある。それには、「幽州建国寺に仏母殿があり、そこに裸形の黄金の鋳像がある。傍らには裸の妖女が立つている。その傍らには、別の仏が妖女と抱き合う像がある。廊下の両側の壁の間には妖僧がおり、子供を喰い,あるいは大蛇を喰い、まさに怪しげである」とある。

●元代(1271-1368)のチベット仏教

 元の軍隊が南下するに従って、彼らが信仰するチベット仏教の種々の仏像も江南に作られ始めた。元十三年(1276)2月に元の軍隊は臨安(杭州)に入った。翌年、仏教寺院を作るために西域の僧を招いた。南宋の宮殿を壊し、その代わりに寺院を建て、そこに多くのチベット密教の仏像を置いた。杭州には仏教の仏像を納める67の龕と、116の仏像が残されている。そこにある多くが元の時代に作られたチベット密教像である。

●元での実践

 元代の帝王は歓喜仏を祀り、密教の「男女双修」の儀式を実践したという。「元史・姦臣・哈馬」に、チベットの僧が皇帝に「大喜楽の禅定」の秘密を受けるように勧め、帝はこれを習ったとある。その法は「双修法」ともいい、房中術である。帝は西天の僧を司徒とし、チベットの僧は大元国師とした。信徒は良家の女性から選び、3人から4人をこの儀式に参加させ、これを供養といった。

出典 李蓓「中国古代民間密宗信仰研究」四川出版集団巴蜀書社(2010)