壺9 玄奘(げんじょう、602 - 664)は、インドから経典も持ち帰った唐代の僧
629年に国禁を犯して出国、陸路でインドに向かう。途中、高昌に至った。高昌王は仏教徒で、玄奘を国師として迎えようとしたが、玄奘のインドへの思いを理解し、通過予定の国王たちに保護・援助を願う文書を持たせてくれた。玄奘は天山南路から峠を越えて天山北路へと渡るルートを辿り、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに入った。ナーランダ大学で唯識学を学び、出国から16年の貞観19年(645)に長安に帰った。
壺9 玄奘(げんじょう、602 - 664)は、インドから経典も持ち帰った唐代の僧
629年に国禁を犯して出国、陸路でインドに向かう。途中、高昌に至った。高昌王は仏教徒で、玄奘を国師として迎えようとしたが、玄奘のインドへの思いを理解し、通過予定の国王たちに保護・援助を願う文書を持たせてくれた。玄奘は天山南路から峠を越えて天山北路へと渡るルートを辿り、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに入った。ナーランダ大学で唯識学を学び、出国から16年の貞観19年(645)に長安に帰った。