11 インドの盛衰 ヒンズーとイスラム教徒の対立
多くの歴史家は、独立後のインドでの宗教的暴力は、植民地時代に英国政府が追求した分割統治政策の遺産で、英国管理者がヒンズー教徒とイスラム教徒を互いに対立させたと主張している。これらの暴動では、犠牲者には多くのイスラム教徒、ヒンズー教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒、キリスト教徒、仏教徒が含まれている。
●ヒンドゥー教徒への暴力
インドでの宗教的暴力は、一般的にヒンズー教徒とイスラム教徒を巻き込んでいる。
インドの宗教的暴力は、散発的で時には深刻な宗教的暴力行為が発生する傾向がある。国際人権団体は、インドでの宗教的暴力行為に関する報告書によると、 2005年から2009年まで、毎年平均130人が共同暴力で死亡し、人口10万人あたり約0.01人が死亡した。
西インドに位置するマハラシュトラ州は、その5年間で宗教的暴力での死者数が最も多い。2012年には、宗教的暴力に関連する暴動により、インド全土で合計97人が死亡した。
●イスラム教徒に対する暴力
1992年12月6日、ヒンドゥー教の原理主義者メンバーが、北インドのアヨーディヤーにあるモスクを破壊した。原理主義者はモスクが古代のヒンドゥー教の発祥地に建てられたと主張した。アヨーディヤーのモスクを破壊した事件の後、ムンバイ市のヒンズー教徒とイスラム教徒の間で暴動が起こった。結果として生じた宗教的暴動で、少なくとも1200人の死を引き起こした。ヒンズー教徒はヒンズー教徒の大多数の地域に移動し、イスラム教徒もイスラム教徒の大多数の地域に移動したため、暴動はムンバイの人口統計を大きく変えた。
●ゴドラ列車の火災
ゴドラ列車の火災は、2002年2月27日に発生した事件で、アヨーディヤーから戻ってきた59人のヒンズー教の巡礼者が、グジャラート州のゴドラ駅近くの列車内火災で死亡した事件。州政府は、この事件調査に6年を費やし、火災はイスラム教徒の暴徒によって放火されたと結論付けた。この事件は、その後の「グジャラート暴動」を引き起こし、その結果、広範囲にわたる人命の損失、財産の破壊、ホームレスが発生した。死傷者の推定値は2,000人以上という。(資料英文ウィキペディア)