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6「仏教の秘密」河口慧海のチベット批判

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サムエ寺の前のパドマサンババ

秘密6 河口慧海チベット仏教批判

 当時日本と国交のなかったチベットに、中国人僧侶に化けて潜入した河口慧海(1866〜1945)。彼はその記録を『チベット旅行記』に記している。彼は漢訳仏典の翻訳に疑問を持ち、原文を知るためにサンスクリット訳に忠実なチベット経典を求めて入国した。彼はその調査から、チベット密教を否定する事になった。

密教は発達か堕落か

 チベット語蔵経の秘密部に関して注意を要する点は、日本仏教で最上とされる大日経が、密教の四分類では下から2番目の所作タントラにあることである。大日経を2番目の修密に入れたのは、仏陀在世より龍樹菩薩に至るまでの秘密部は大抵、作密、修密であったためである。しかしこの密教の後に出来た密教は、発達道徳的に墜落したものとなった。しかしチベット人は、この後の密教をより尊貴とする。そのため大日経を下劣として、その上に自分たちの妖佚なる経典を置いたのである。(82p要約)

チベット密教、開創の祖師

 ヒンズー教徒が仏教を滅ぼすために、ヒンズー教の最も淫卑な事柄を仏教用語をもって記述した。それを忠実に学んで、そして実行に忠実したのがパドマサンバヴァ(蓮華生)である。この人はインドのウッデヤーナの人で、752年にチベットのサムエ寺に入って開祖(ニンマ派)となった。この宗派では、仏陀の説いた経典よりも、パドマサンバヴァの説いたものを多く用い、そして仏の説いた教えよりも、一層尊崇する。その理由は、仏陀は世間の楽しみを脱離して修行しなければ仏になれぬと説くのに対し、彼は幸福を感じて享楽しみつつ、よく成仏できる道を教示したからとしている。これらの経典は発掘されたもので、その発掘も、ラマの夢告に基づいて行うものであった。(84p要約)(河口慧海『第2回チベット旅行記河口慧海の会発行(1966)