シュールの本棚

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12 有名人のスパイ 外交官夫人シンシア

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書籍「シンシア」と「イントレピッド」の表紙

 

 暗号名「シンシア」(cynthia)と呼ばれた女性情報員は、本名は、エイミー・エリザベス・ソープ(1910 – 1963)。

 彼女はイギリス外交官アーサー・パックと結婚してワルシャワに来ていた。イギリス情報機関MI6は、1935年ごろから外交界で注目をあつめる彼女を情報提供者として利用していた。スペイン内戦が勃発すると、彼女は親フランコの秘密活動に従事した。パーティで彼女と会った多くの役人や軍人は、その魅力に抵抗できず、彼女に情報をもたらした。

 当時、イギリス情報機関は、ナチの保安機関用に改造した「エニグマ」暗号機の詳細を求めていた。ポーランドの暗号班は、ポーランド外相ヨゼフ・ベックが興味を持っていた新型「エニグマ」に取り組み、ベック外相の副官が、ベティの恋人の一人であった。彼女は彼を口説いて、外相のオフィスにある書類を持ち出しては写しを取って返した。そのなかに「エニグマ」の秘密追求のカギとなる情報 が含まれていた。

 

●ヴィシー海軍の暗号書奪取 

 1940年、ニューヨークに呼ばれた彼女は、 始めて「シンシア」の暗号名を与えられる。ブリティッシュ・セキュリティ・コーディネーション(BSC)は、1940年5月にMI6がニューヨーク市に設立したカバー組織で、彼女にイタリアの海箪暗号体系を入手する任務を与えた。シンシアの拠点は、ワシントンのジョージタウン地区の2階建の家で、ここにイタリア大使館付海軍武官が誘われ、イタリア海軍の暗号書を入手した。この文書は、41年3月、イギリス海軍がイタリア艦隊を攻撃して東地中海を制圧する契機となった。

  BSCは、さらにシンシアをワシントンのフランス大使館の暗号入手を依頼する。

 シンシアは、まず記者を装って大使館に出入りし、広報担当官のシャルル・ブルース海軍大尉に標的を定め、全力を集中した。

 身体を許した後、41年7月、シンシアは自分がアメリカの情報員であることを打ち明け、彼がヴィシー政権に反抗し、自由フランスのために働くよう説得した。

  1942年6月、シンシアは海軍の暗号を求めて、金庫破りの名人とともに大使館に入り込み、金庫を開け、暗号書を写真撮影するという方法を取った。この海軍暗号の奪取は、連合軍の北アフリカ上陸作戦に役立った。(資料 春日井邦夫「情報と謀略」2014)