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21 芸術家と金 ルドルフ・ヌレエフ

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ヌレエフのパリのサロン(architecturaldigest.com)

ルドルフ・ヌレエフ(1938 - 1993)は、ソ連生まれのバレエダンサー。17歳でロシアバレエの名門校、ワガノワ・キーロフバレエ学院に編入しバレエを学ぶ。

 1961年、海外公演の途中に亡命。ヌレエフは、ソ連に戻ると投獄される可能性が高いと信じ、帰国を拒否しパリにとどまった。

 1963年ごろから英国ロイヤル・バレエのゲストとしてマーゴ・フォンテインとペアを組んだ。

   1964年にウィーン国立歌劇場で、フォンテインが出演する『白鳥の湖』の振り付けをきっかけにウィーンに活動拠点を移し、1982年にオーストリア国籍を取得。1980年代にはパリ・オペラ座バレエ芸術監督に就任。現代作品を積極的に採用して、現在のオペラ座の隆盛の礎を築く。

 1980年に彼はニューヨーク市のダコタにあるアパートを購入。1981年、バージニア州の500エーカーの農場を購入した。ヌレエフの弁護士を勤めたワインスタインは、ヌレエフが亡くなるまで、税務、不動産、その他の問題で約20年間ヌレエフの代理を勤めた。

  1982年頃にエイズがフランスに登場し、ヌレエフは1984年にHIV陽性。1980年代後半までに彼の能力の低下は、ファンを失望させた。身体の衰えは1991年の夏に始まり、1993年AIDSによる合併症で54歳で死去した。

 ヌレエフは1961年に亡命したときは無一文だったが、最終的には財産を蓄え、約2,100万ドル相当の財産を残した。ヌレエフは亡くなる2か月前に、700万ドル相当のアメリカの資産を新しく設立されたダンス財団に寄付している。(JUSTIA US LAW)