シュールの本棚

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3 芸術家と金 チャイコフスキー

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チャイコフスキーの住居、左は若きチャイコフスキー、 右はメック夫人

 ピョートル・チャイコフスキー(1840 - 1893)は、ロシアの作曲家。バレエ音楽白鳥の湖」、交響曲第6番『悲愴』が有名。
 ロシア初のプロの音楽院で訓練を受けたチャイコフスキーは、急速に進化するロシアの音楽社会、オペラハウスや劇場、コンサート組織、出版社と交流する方法を特定した。それでも、チャイコフスキーは浪費家で、支出の管理はできなかったようだ。
 彼は1865年12月にペテルブルク音楽院を卒業し、1866年1月にモスクワに転居、帝室ロシア音楽協会モスクワ支部で教鞭をとる。この支部からモスクワ音楽院が創設され、チャイコフスキーは理論講師として12年間ここで活動する。
 1876年36歳の時、『テンペスト』を聴いて感激した富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メック夫人(1831 – 1894)から、年間6000ルーブルの資金援助があり、1890年までの14年間、援助を受ける。これは彼がモスクワ音楽院の教授職を離れて、創造的な仕事に専念できる額である。また1885年にロシア音楽協会のモスクワ支部局長に選ばれるなど、社会的にも恵まれていた。1893年10月、『悲愴』が作曲者自身による指揮で初演。それから9日後の11月6日に急死。53歳。カザン大聖堂にて国葬が執り行われた。