シュールの本棚

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4 芸術家と金 ワーグナー

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コラージュ「ワグナーの熱に歪んだワリキューレ」

 ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)は、彼の生活の大部分を借金で過ごした。

 1833年、20歳のワーグナーは最初オペラ『妖精』を作曲。1834年にマクデブルクのベートマン劇団の指揮者となり、女優のミンナと結婚した。1839年3月にリガの劇場を解雇される。7月、債権者から逃れたワーグナー夫妻は当初、嵐の海路をロンドンに向かい、そこから『さまよえるオランダ人』のヒントを引き出した。 ワーグナー1839年9月にパリに到着、1842年までそこにとどまった。ドレスデンでの『リエンツィ』初演は大成功に終わり、これによってワーグナーはようやく注目された。
ルートヴィヒ2世
 ルートヴィヒ2世
1845 - 1886)が18歳でバイエルンの王位を継承したとき、ワーグナーの運命は1864年に劇的な好転を遂げた。若い王は、ワーグナーのオペラを熱烈に愛し、ワーグナーの多額の借金を清算し、彼が計画したオペラを上演することを提案した。ルートヴィヒの主張で、『ラインの黄金』と『ワルキューレ』が1869年と1870年にミュンヘンで上演された。
 1871年ワーグナーは新しいオペラハウスとなるバイロイトに引越した。町議会は、劇場の場所に広大な土地を寄付した。翌年、ワーグナーは町に移り、バイロイト祝祭劇場の建設が始まる。建設資金のためいくつかの都市で「ワーグナー協会」が結成され、ワー​​グナーはドイツのコンサートツアーを開始した。しかし1873年の春までに、必要な資金の3分の1しか調達できなかった。ルートヴィヒへの嘆願は当初無視されたが、1874年の初め、国王は容赦し融資を提供した。劇場は1875年に完成し、フェスティバルは翌年に予定された。しかしお祭りは約15万マルクの赤字で終了した。