21 モスクワの盛衰 アルファ部隊
ソ連の諜報機関KGBの後継組織ロシア連邦保安局(FSB)には、いくつものサブ機関がある。そのひとつに特別部隊センター「アルファ」、グループ「A」は、テロ対策実施チームとして有名なブランドとなった。
グループ「A」を創設する要因は、1972年9月5日から6日の夜にミュンヘン・オリンピックで行われたテロ行為で、イスラエルのオリンピック・チーム11人が、パレスチナのテロリスト・グループの手によって殺された事件である。そのため、1980年のモスクワ夏季オリンピックでテロリストの脅威に対抗し、トップの政治家を含むソ連市民の安全を確保することができる特別な秘密部隊を形成することが必要となった。7月4日から8月初旬まで、グループAは、モスクワでの夏季オリンピックの安全確保に従事した。首都での任務に加え、グループ「A」の戦闘スイマーが、タリンとエストニアSSRの海岸に送られ、セーリング競技が行われた水域を定期的に検査し、水中妨害工作員やテロリストと戦うための特別部隊が海上での安全の確保に参加した。
●韓国人観光客人質事件
ドゥブロフカの劇場での人質事件(2002年10月)は有名だが、それ以外の人質事件はいくつも発生し、その都度アルファ部隊が活躍している。
1995年10月14日、クレムリンから数メートルの聖ワシリイ大聖堂付近で、PMピストルと爆発装置を装備した34歳の男が、25人の韓国人観光客を乗せたバスに乗り込み、人質にした。彼は出発の目的地を指定せず、拒否された場合にバスを爆破すると脅迫することなく、1,000万米ドルと飛行機を要求した。
犯罪者との長い交渉が行われ、モスクワ市長のユーリ・ルシコフが加わった。アルファ部員は偵察を行い、救出計画に狙撃兵を加えた。交渉中、犯人は拘束したすべての女性と3人の男性を釈放し、身代金を100万ドルに減らしたが、彼は注意深いため、工作員が突入の準備をすることができなかった。彼は47万ドルを受け取ったあと、残りの金額、運転手なしの乗用車、および首都空港に旅行する権利を要求した。22時38分、作戦部長の指揮下でバスへの突入が開始された。窓が壊れ、犯人はピストルで発砲したが、狙撃兵の弾丸によって致命傷を負った。攻撃の間、人質には負傷者は出なかった。
●ベスランでの学校人質事件
2004年9月1日〜3日、北オセチアのベスランで、武装した過激派のグループが、第1学校の建物で1,100人以上の生徒を人質に取った事件が発生。9月1日、テロリストは20人以上の人質を撃った。9月1日から2日までに自爆テロ犯1人を含む3人が、殺害された。9月3日午後1時5分、校舎で2回の大爆発が起こり、セントラルサービスセンターの隊員が爆風に見舞われた。何時間にもわたる攻防の過程で、28人のテロリストが殺害され1人が逮捕された。この事件で合計334人(186人の子供を含む)がテロ攻撃の犠牲者となり、800人以上が負傷した。事件で救出に当たった「アルファ」の隊員3人が殺害された。(資料 ロシア版ウィキペディア)