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10 ベルリンの盛衰 長いナイフの夜

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ヒトラーとエルンスト・レーム (MILITARY REVIEW/en.topwar.ruより)

 ナチ党が政権を掌握した1933年、ナチス党の私兵部隊「突撃隊」(SA)は総員400万人、うち武装兵士が50万人の規模で、国軍における陸軍将兵10万人の5倍であった。
 突撃隊(SA)の指導者はエルンスト・レーム(1887-1934)で、突撃隊員の多くがナチスの政権掌握後、正規軍となることを望み、レームは国防大臣として入閣できると思っていた。
 しかし期待に反してレームは閣僚に加えられず、ヒトラーや軍部を批判するようになった。レームと対立するゲーリング指揮下のゲシュタポは、レームを監視し、その言動をヒトラーに報告した。
 1934年6月30日から7月2日にかけて、レームや突撃隊幹部と対立するゲーリング(1893‐1946)、親衛隊(SS)のヒムラー(1900-1945) 及びハイドリヒ(1904 - 1942)らは、突撃隊の粛清準備を進めていた。ヒトラーは6月25日までに、レーム以下突撃隊幹部を粛清する旨を伝え、国軍もその準備に入った。
 6月30日に突撃隊幹部を保養地で有名なバイエルン州バート・ヴィースゼーに召集した。ヒトラーの指示に従い、召喚されたエルンスト・レームと他のSA 指導者が逮捕され、党内外の人々多数が裁判を経ずにSSの隊員によって殺害された。その後数日間、さらに多くの殺人が続いた。約90人の殺害者が名前で特定されたが、一部の研究者は、約150~ 200人が殺害されたと推定している。(資料 日本、ドイツ語エクスペディア)