シュールの本棚

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11ベルリンの盛衰 ヒトラーとレマルクの戦争体験後の人生

 ヒトラー (1889 - 1945)と「西部戦線異常なし」の作家レマルクの2人は、若き日にともにドイツ兵として第一次大戦で同じ前線で戦い、二人とも重傷を負う。 しかし 戦争が終わったとき、彼らの一人は、凶悪な戦争犯罪人になり、もう一人は平和主義の作家になった。この2人の対比列伝を記したロブ・ラッゲンベルグの著「無人地帯の極限」の筋書きは以下のようである。

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若きヒトラー

 1914年1月、ヒトラーは検査で不適格と判定され兵役を免除されるが、8月1日に始まった第一次大戦で、バイエルン陸軍に志願。予備歩兵連隊に義勇兵として入営。ヒトラーは、フランス兵を捕えるなどの功績と伝令兵の任務が評価され、6回受勲した。1916年、ソンムの戦いヒトラーは脚の付け根に怪我をして入院。1918年10月には、敵軍の毒ガスの影響で一時的に視力を失い、野戦病院に入院した。1918 年11月10日、年配の牧師が病院に来て、ニュースを発表した。皇帝は逃亡し、、祖国は今や共和国となった。将軍たちは休戦を懇願し戦争は終わった。
「ひどい日が続き、さらに悪い夜が続いた。すべてが失われたことを私は知っていた...これらの夜に、憎しみが私の中で育った。この行為の責任者に対する憎しみ。」彼が政界に入ることを決意するのは、そのときどきだ。

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レマルクマレーネ・ディートリッヒ

レマルク(1898- 1970)
 1917年6月12日、レマルクは戦争末期の西部戦線に配属されてフランス北部のノール県に送られ、第2予備近衛師団に入営。6月26日、ベルギーのフランデレン地域に展開する予備役歩兵連隊に配属を命じられ、工兵小隊の一員として塹壕戦を経験する。7月31日、榴弾の破片によって左足、右腕、首に重傷を負い傷痍軍人として送還。
 1917年8月、デュースブルク軍病院で長期間の治療を命じられ、回復を待つが、1918年11月13日に起きたドイツ革命で戦争は終結
 1929年 戦争小説『西部戦線異状なし』を発表。翌年にはハリウッドで映画化される。しかしナチスの台頭が始まり、身の危険を感じて1932年にスイスに亡命。妹エルフリーデは人民法廷に送られ裁判の後、彼女は「道徳を傷つけた」罪で有罪判決を受ける。エルフリーデヒトラーの命令で斧で斬首される。書籍は焚書処分となる。1938年ドイツ国籍を剥奪され、翌年にアメリカ合衆国へ亡命した。彼は、マレーネ・ディートリッヒグレタ・ガルボポーレット・ゴダードと恋愛関係にあった。
資料 Extremes in No Man's Land By Rob Ruggenberg