9 ベルリンの盛衰 画家ジョージ・グロス
ベルリン生まれの風刺画家・ジョージ グロス(George Grosz 1893 - 1959)の作品は、ドイツの混乱期に社会と政治への執拗な批判で、一目で彼の作とわかる個性的な表現が特徴。 彼の作品を介して労働者階級の意識を喚起し、国家に打撃を与える反ファシストの風刺作家の一人として評価されている。
1893年、ベルリンの労働者の家庭に生まれる。7歳で父が死去。1908年、中学校で暴力をふるう教師に殴り返して退学処分を受けた。ドレスデンの王立美術院に学び、1910年には複数の諷刺雑誌に関与。
1914年、第一次世界大戦の志願兵になり、重傷を負って入院生活を送り、戦争の実態に幻滅しつつ1915年に除隊。1917年、ベルリンのダダイストの集団に入る。
1919年1月、スパルタクス団に関係して逮捕されたが、贋の身分証を使って逃亡。同年、ドイツ共産党(KDP)に入党。1921年、諷刺画集「神は我らと共に」(Gott mit uns)が陸軍を侮辱しているとされて告発を受け、書店から没収される。
1922年、ロシアを旅した後、独裁組織に嫌気がさし、ドイツ共産党を脱退。1924年、諷刺画集「この人を見よ」(Ecce Homo)が猥褻にあたるとして有罪判決を受ける。同年、芸術家組織「赤い集団」の会長に就任。
1928年、「つべこべ言わずにお勤め果たせ」と題する絵が、神への冒涜にあたるとして告発される。
1932年、ニューヨークに招かれて渡米し、1933年、ナチスを避けて米国に亡命した。1938年、アメリカに帰化。
1946年、自伝「小さなイエスと大きなノー」(Ein kleines Ja und ein Grosses Nein)を刊行。1959年、ドイツに一時帰国中、飲酒中の事故により急死した。
(資料 日本語ウィキペディア)