11 ソウルの盛衰 韓国中央情報局(KCIA)の変遷
1961年、朴正煕によるクーデター成功の1ヵ月後に、韓国国軍の諜報機関「対敵諜報部隊」(Counter Intelligence Corps、CIC)のメンバーを中心に、1961年5月「韓国中央諜報局 」KCIA(Korea Central Intelligence Agency) が設立された。初代所長は、1971年に首相になった金鍾泌(1926 - 2018)。組織・職員・予算は非公開とされ、職員は生え抜きの軍人から約10万人が選抜され、主要な任務は北朝鮮に対する諜報活動及び工作員の摘発だが、軍政時代には反政府運動の取締りも行った。
本部の所在地名から、「南山(ナムサン)」と通称され、国民生活を監視し、朴の独裁政治に反対する国民を摘発し、西氷庫などで被疑者に対する拷問を行い、殺害することもあったため、国民から恐れられた。その活動の一つは、1973年8月に日本で起きた金大中拉致事件で知られる。
1979年10月の朴の暗殺後、1981年1月全斗煥(在任1980 - 88)によって「国家安全企画部」NSPA(National Security Planning Agency)に改組された。
1983年10月、ミャンマーのアウンサン霊廟への北朝鮮の爆破事件の調査に参画した。1988年9月には、ソウルオリンピックでのセキュリティに貢献した。
金大中政権下(1998 – 2003)の1999年に改編され、大統領直属機関の「国家情報院」 KNIS(Korea National Intelligence Service)となり、政治犯罪のみならず、経済犯罪も扱い、また職員の公募も始まるなど、次第にその秘匿性を減らしていった。
2004年2月、国立サイバーセキュリティセンターが開設された。
設立の意義として、KNISは次の趣旨を紹介している。「韓国中央情報局」の設立は、以下の点で重要である。韓国中央諜報局の発足は、国家安全保障政策の策定と実行の効率を高めた。すべてのインテリジェンス機能を1つの組織に統合することで、人的および物的リソースの効率的な管理が可能になった。単一の機関の下で、海外の情報を収集・分析のための統合された体系的なアプローチが可能となった。これはまた、専門の諜報員の訓練を容易にし、諜報訓練と技術研究スキームの確立を可能にした。(資料 KNISのホームページより)