6 パリの盛衰 パリは燃えているか
1944年7月20日のヒトラー暗殺計画が失敗した直後、ヒトラーは占領下のパリ防衛司令官として、歩兵大将のディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍を任命した。 ヒトラーは、計画されたワルシャワの破壊と同様、「パリを破壊せずに敵に渡してはない」という命令を発した。
3日後の1945年8月25日、ヒトラーは、ラステンブルクの大本営の戦略会議で、「パリを破壊するための特別工兵部隊を派遣した。この命令は実行されたか」とヨーデル参謀長官に尋ねた。「今、この瞬間、パリは燃えているのか?」沈黙したままの参謀総長に業をにやしたヒトラーは、幕僚に命じ、即刻西部軍司令部に電話して、破壊の状況を報告するようにと言った。(ドミニク・ラピエール他著『パリは燃えているか?』(1965)