17「仏教の秘密」沖縄の仏教
秘密17 沖縄に寺院が少ない訳
2012年現在、人口145万人(2019年)の沖縄県に登録されているは寺院は98カ寺である。それに比べ人口160万人の鹿児島は483ヵ寺である。沖縄に仏教が伝わったのは13世紀ころといわれる。その後、14世紀後半に真言宗、15世紀中ごろにに浄土真宗、大正時代に日蓮宗という具合に各宗派が伝わった。
かつて沖縄(琉球)は仏教国であった。14世紀の察度王の時代に真言宗の頼重上人が護国寺を確立して以来、仏教は琉球の護国宗教として重んじられた。尚泰久王(1415~1460)の時代は、国家統一を成しとげたばかりなので、信仰を一つにまとめることが大切と考え、国王の庇護の下、仏教寺院が続々と建立された。尚元王(1528~1572)の時代には、僧侶は幕府や薩摩国へ派遣される外交官の役割も果たすようになり、僧侶の社会的地位も格段に向上した。
●薩摩藩侵略の悲劇
1609(慶長14)年、琉球は薩州軍によって侵略された。これ以後、琉球王朝は明治維新まで薩摩藩の支配下に置かれた。
この侵略時の戦火で多数の寺院が焼失した。また薩摩藩は、寺院建立の凍結、仏教の布教禁止の法令が発せられた。当時、琉球には檀家制度はなく、寺の財政は王朝から受け取る知行に依存していた。
明治になって、新政府は寺院が王朝から受け取っていた知行を廃止した。これによって沖縄のお寺は困窮状態に陥った。寺は規模を縮小せざるをえず、継続を断念するお寺も多く現れた。その結果、最盛時には100を超えていたお寺の数が明治末期には20程度にまで減少したとのことである。
太平洋戦争では、米軍の攻撃によってほとんどの寺院は焼失した。終戦後の僧侶は、戦争の犠牲者の遺体収容と葬儀のために一時的に公務員として働いたが、その後お寺の復興が徐々に進み、僧侶は本務へと戻れるようになった。 資料(中島隆信「お寺の経済学」2005)