16「仏教の秘密」達磨とその弟子
秘密16 達磨の弟子になる方法?
禅をインドから中国に伝えたのは達磨(528寂)とされてきた。普通元年(520)、南朝の梁の武帝は、即位して以来、多くの寺院を建て、僧をふやしていた。そこへ達磨が来たので、「この私にどんな功徳があるか」と問うた。達磨は即座に「功徳なし」と答えた。驚いた帝は「それでは何が最も功徳になるか」と問うと、「この世では求められない」と答えた。こうして両者は互いに結びつくことはなかった。
それから達磨は、黄河の流域にある嵩山の少林寺に籠り、壁に向かって九年間坐り続けたという。
大通2年(529)ある雪の降る日、神光という僧が達磨をしたって「弟子にしてほしい」と頼みこんだ。達磨は無言。神光は「弟子にしてくれるまでは動かない」と、その場に坐りこんだ。それでも達磨が反応しないので、神光は刀を抜いて左手を臂(ひじ)から斬り落として達摩にさし出した。(図参照)
達磨は初めて男の覚悟を知り、彼を弟子にした。こののち神光は名を慧可(えか487-593)と改めた。中国禅宗の第2祖である。この「雪中断臂」の話は「高僧伝」にはないので、あとで盗賊に襲われて腕を切られた僧の話を付け加えたのではないかという。
慧可の最期は、他宗の僧の布教中に、慧可が妨害したとして役所に訴えられ、処刑された。106歳だった。
(資料 松本文三「達磨」1911年)