19 連環画の壺 「禅宗の六祖慧能」
壺19 慧能(えのう 638 - 713)は、父を早くに亡くし、薪を売って暮らしていた。ある日、『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞き出家、文字が読めないため、黄梅(おうばい)の東山に禅宗第五祖、弘忍(こうにん)を尋ね、仏性(ぶっしょう)問答によって入門を許された。しばらく寺の米つきに従事した。弘忍より大法を受け継いだが、多くの弟子からねたまれるのを危ぶんだ弘忍の命令で、達磨の袈裟を持って寺から避難した。その後、広州に帰り法性寺(ほうしょうじ)の僧侶となる。翌677年、曹渓宝林寺(広東省)に移って禅法を発揚し、多くの信奉者を得た。705年朝廷に推挙されるが断り、亡くなるまで布教を続けた。(資料 精品彩絵連環画《慧能伝》)