13 イスラエルの作戦 バス300事件 (1984)
バス300事件は、1984年4月12日、4人のパレスチナ人テロリストが、テルアビブからアシュケロンに向かう35人の乗客を乗せた300号線エゲッドバスを乗っ取ったときに始まった。彼らの目的は、イスラエルに投獄されていた500人のアラブ人の釈放であった。
テロリストは、午後7時30分に駅を出た直後にハイジャックした。乗取りの際、バスの乗客の1人が重傷を負った。ハイジャック犯はバスの方向を変えてエジプトの国境に向かって運転した。
バスがハイジャックされた直後、彼らは、バスから妊婦を解放した。彼女はガソリンスタンドまでヒッチハイクし、そこから当局にハイジャックを警告。その結果、イスラエル軍はバスを追いかけ始めた。
バスは、イスラエル兵がバスのタイヤに発砲し、エジプト国境の北わずか10マイルにあるガザ地区のパレスチナ難民キャンプの近くで止まったとき、何人かの乗客は開いたドアを通ってバスから逃げることができた。
その後、イスラエルのメディアが現場に集まり始めた。参謀長のモシェ・レヴィ、国防相のモシェ・アレンス、イスラエル治安機関(ISA)局長のアブラハム・シャロームもそこにいた。
バスの乗客を人質に取っていたハイジャック犯は、イスラエルに投獄されていた500人のアラブ人の釈放と、エジプトへの自由な通行を要求した。ハイジャック犯は、爆発物を積んだスーツケースを爆破し、バスの乗客全員を殺すことを躊躇しないと述べた。
長い交渉の末、4月13日午前7時頃、イツハークモルデチャイ将軍の指揮下にあるイスラエル国防軍部隊が、車両の窓からハイジャック犯を撃ちながらバスを襲撃した。戦闘中に1人の乗客、19歳の女性兵士が死亡し、7人が負傷した。
当初、4人のテロリスト全員が殺害されたと報告された。しかし、2人は生き残り、尋問のために縛られて近くの畑に連れて行かれ、そこで彼らは集まった人々に殴打された。ISAのシャロームと最高執行責任者であるヤトムは、拘束された男たちに近づき、シャロームはヤトムに実行するよう命じた。そこでヤトムと他の数人のエージェントが、彼らを孤立した場所に追いやり、岩と鉄の棒で彼らを殴り殺した。この行為がマスコミに公にされると、世論が彼らの行為を非難。1985年、バスの襲撃を主導したイツハーク・モルデチャイ准将と他の11人が、2人の囚人を殺害したとして裁判にかけられた。1986年6月、政府の勧告により、ヘルツォーグ大統領は、まだ起訴されていなかったものの、事件に関与した人々に恩赦を与えた。これに続いて、シャロームは辞任し、ISAの元首長であるヨセフ・ヘルメリンに代わった。(資料 jewishvirtuallibrary.org )