14 イスラエルの作戦 ヒンダウィ事件(1986)
ヒンダウィ事件は、1986年4月にヨルダン人のネザール・ヒンダウィが、ロンドン発テルアビブ行きのエルアル航空016を爆撃に失敗し、話題になった事件である。
1986年4月17日の朝、ロンドンのヒースロー空港で、イスラエルの警備員が、妊娠中のアイルランド人女性マーフィーのバッグに1.5キロのセムテックス爆発物を発見した。彼女は預かった荷物が何であったかを知らず、彼女の婚約者のヒンダウィからバッグを渡されたと主張した。彼女は、ヒンダウィが結婚前に両親に会う目的で彼女を飛行機に乗せたと主張した。
翌日ヒンダウィが逮捕された。ヒンダウィは裁判所で有罪とされ、45年の禁固刑を宣告された。
マーフィーがヒンダウィに会ったのは2年前で、彼女はロンドンのヒルトンホテルで女中として働いていた。彼女が妊娠したとき、ヒンダウィは結婚するためにイスラエルに行くべきと彼女に確信させた。
午前8時に空港でマーフィーを見送った直後、ヒンダウィはロンドンに戻り、午後2時のダマスカス行きの飛行機に乗るため飛行場に向かった。しかし彼は空港で爆弾が発見されたというニュースを聞いたため、シリア大使館に行き、そこで援助を求めた。
理由は不明だが、翌朝4月18日早朝、ヒンダウィは大使館から逃げ出し、イギリスの警察に身を任せた。
彼はそこで尋問され、ヒンダウィは1年前にシリア空軍情報部の高官と計画を調整したと主張し、そこで彼は爆発物を操作する指示を与えられ、爆発物は4月5日にロンドンのホテルに配達されたと言った。裁判の間に、ヒンダウィは自白を撤回し、イスラエルのエージェントによる陰謀の犠牲者であると主張した。
◎その後の展開
裁判所がヒンダウィを有罪と認定した後、英国首相のサッチャーはシリアとの外交関係を断ち切った。
1986年10月20日の「タイム」誌とのインタビューで、シリアのアサド大統領は、イスラエルの諜報機関がヒンダウィを利用する計画をしたと述べた。ヒンダウィが法廷で名指ししたアクル大佐は、イスラエルのために働いた疑いでダマスカスで逮捕された。
イスラエルの諜報部員であったアリ・ベン・メナシェは、回想録「戦争からの利益」(1992 )で、「ヒンダウィ事件は。イスラエルの諜報機関によって考案された作戦で、作戦は成功した」と書いている。陰謀の主催者は、イスラエルの諜報機関の反テロリスト・グループを率いたラフィ・エイタンだったという。この作戦は、ロンドンのシリア大使館がテロに関与していることを示唆させて、すべてのシリア外交官をイギリスから追放させるのを目的としていた。イスラエル人エージェントのモハメッド・アブドゥラは、いとこのヒンダウィに、ガールフレンドを経由して飛行機に爆発物を置くために5万ドルを提供した。2013年3月、無罪を主張していたヒンダウィは仮釈放を認められた(The Times.3.28 ) 。