6 芸術家と金 マーロン・ブランド
マーロン・ブランド(1924 - 2004)は、アメリカの映画俳優。
ニューヨークのプロの演劇学校に入学。ブロードウェイの舞台『欲望という名の電車』で亭主を演じて注目される。1951年、映画『欲望という名の電車』で同じ役を演じ、『乱暴者』(1953)でオートバイに乗る反抗的な若者を演じ、若者がそのスタイルを真似るようになる。
1954年に、カザンの『波止場』でアカデミー主演男優賞を獲得、名実共にトップスターになる。
ハリウッドに入った頃から、自分が気に入った脚本にしか出なかったが、現金が必要となり、内容のない作品にも多数出演するようになった。素行の悪さから映画会社や監督から嫌われ、俳優としての評価もギャラも下がった。
1967年にタヒチ諸島のテティアロア環礁を所有してからは、俳優業を「島の環境維持」と割り切るようになる。しかし、1972年の『ゴッドファーザー』(1972)で、再び第一線に復帰。1972年の映画「ラストタンゴインパリ」で彼は300万ドルを稼いだ。
1975年の『ミズーリ・ブレイク』 (1976)からは、莫大なギャラと収益の一部を得ることが出演条件となった。1978年の『スーパーマン』では、世界一ギャラの高い俳優としてギネス記録に載った。映画は大ヒットし、ブランドは1400万ドルという破格のギャラを手にした。2004年7月、UCLAメディカルセンターにて呼吸不全と心不全で死亡。亡くなったブランドは、2,160万ドル相当の遺産を残した。(資料/英語版「ウィキペディア」)