10 モスクワの盛衰 スターリンの死
実際にソ連を創設し、30年近く支配したスターリンが1953年3月5日、死亡した。
●彼の病気
1952年12月73才のスターリンは、群衆にも少数の会衆にも耐えられなくなっていたのである。彼はひどいノイローゼだった。 この病気が起きたのは最近のことである。ここ3年ばかり、国中は身を縮めてクレムリンの長が眉一つ動かせば、すぐ国家保安機関が反応して弾圧が始まるのである。恐る恐る彼に近づく医者たちには、この病気の秘密がわかっていた。スターリンは非常に重い動脈硬化症だったのである。脳の血管がやられている以上、当然精神面にも影響が出る。衝動の抑制が利かなくなるのだ。これは定義上は無意識の衝動である。こうして、血の粛清という30年代に猛威をふるった恐怖が発生したのだった。(ピェール・アコス「現代史を支配する病人たち」1992年より
●彼の家族観
長男のヤコフはドイツ軍の捕虜となって病死したが、スターリンは息子を救うために指一本挙げようともしなかった。スターリンは捕虜を憎んだ。捕虜は売国奴であり、脱走兵なのだ。
スターリンは2人の妻の家族も始末していった(家族の方では彼を受け入れていたのだけれども)。彼は義理の兄弟2人を銃殺させ、義姉妹4人を投獄(2人は現在も獄中にあり、2人は獄死)し、もう一人の義弟は、これは陸軍の将官であったが、便利なことに、自分の執務室に行ったら部下が全員逮捕されたのを見て、心臓の発作で頓死してしまった。いまや彼の対人関係で残ったのは、政治的な結び付き、家来に対する主人の関係だけであった。(ボルトリ『スターリンの死』早川書房1979年より)
●彼の死亡通知
3月6日午前6時、モスクワ。この日の放送は重々しく悲壮なドラムの響きとそれにつづく国歌の吹奏で始まった。ついでレヴィタンの声が響いてきた。 「すべての党員諸君、ソヴィエト連邦のすべての労働者諸君、 レーニンの戦友、その事業の天才的な継承者、ソ連共産党と人民の賢男な指導者、教師であるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・スターリンは心臓を止めた」(ボルトリ「同上」271P)