9 モスクワの盛衰 ミグ15
ソ連のミグ設計局が開発したジェット戦闘機ミグ15。第二次大戦後、ソ連は戦時中にドイツが研究していた後退翼のデータを入手し、独自に開発していたジェット戦闘機よりも高性能の機種を開発できることになった。ミグの名前は、2人の航空機設計者アルテム・ミコヤン(1905-1970)とミハイル・グレヴィッチの名前からとった。
設計者のミコヤンは、イギリスのロールスロイス製ターボジェット・エンジンを基礎に独自改良型RD-45Fとし、機体は徹底的に軽量化した。またどんな滑走路でも離着陸出来るような頑丈な作りにしている。
開発は急ピッチで進められ、1947年に初飛行に成功、すぐに大量生産が開始された。
中国の内戦から実戦投入され、1950年4月の最初の空中戦で、ソ連のパイロットの乗るミグ15が、中国国民党軍の米国製ロッキードP-38(ライトニング)を撃墜した。
ミグ15の登場は朝鮮戦争(1950.6 –1953.7)での国連軍に衝撃を与えた。朝鮮人民空軍(KPAF)の兵力は、93機のイリューシン IL-10などの戦闘機があったが乗組員も訓練不足のため、制空権はアメリカを中心とした国連軍が維持していた。だが1950年10月、中国義勇軍が参戦し、ソ連が中国に供与したミグ15が戦闘に加わった。ミグ15の操縦や戦闘技術は、ソ連の指導のもとに中国兵パイロットを育成した。
ソ連から瀋陽に派遣された第64戦闘航空団は、機体の標識や制服をソ連から中国に偽装を加えたうえで活動した。
空爆の主力であった米国のボーイングB-29爆撃機は、このミグ15によって多数撃墜され、1951年には昼間の爆撃任務から除外された。国連軍のP-51(マスタング)飛行隊は、強敵のミグ15に対抗するためF-86ジェット戦闘機に転換し始めた。1950年11月1日(12月17日説もある)、史上初のジェット機対ジェット機の戦闘が行われた。双方の制空権は中国と北朝鮮国境にそってせめぎ合いを繰り返した。この中朝国境は「ミグ回廊(Mig Alley)」と呼ばれた。
●ジェット機の勝敗
朝鮮戦争でのミグ15とF-86の空での戦いの優劣を示すことは困難という。いずれにしろ、中国と北朝鮮のパイロットが乗るミグの場合、十分な戦術飛行訓練を受けていなかったため、F-86との対決には大きな苦労があったという。( 「コメルサント」2020.11.22より)
ミグ15は1953年の朝鮮戦争で活躍し、12年後の1965年4月2日、ベトナム戦争にミグ17が戦闘に参加した。