シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

19 ソウルの盛衰 「現代自動車グループ」

f:id:danbuer:20210423082554j:plain

「IONIQ 5」(写真 hyundai.com)

現代自動車グループヒュンダイ)」は韓国最大の自動車メーカーで、1999年の経営破綻し、傘下に入った「起亜(きあ)自動車」がある。
現代自動車」は1967年に工場を設立し、1985年に独自の研究開発を実現した。1986年にはアメリカ市場に参入し、世界中で高いブランド認知度を形成してきた。2019年のグループ販売台数は719万3357台で、世界第5位。

f:id:danbuer:20210423082649j:plain

(表 日本貿易振興機構ジェトロ)2020年10月)

●発展史
 「現代自動車」が最初に選んだ海外のパートナーは、フォードの英国支社。フォードが自動車や小型トラックの生産技術の提供である。 1970年代初頭、現代自動車の創設者である鄭周永(チョン・ジュヨン、1915 – 2001)は、独立した知的財産権を持つ自動車モデルを同時に開発することを提案した。1975年現代自動車のポニーモデルは、英国と日本の生産技術力を借りて、最初の自己開発製品として韓国国内市場に参入した。数年後、このポニーモデルは、南米、中東、アフリカの市場に参入し、「現代」の輸出の道を開いた。このポニーライトセダンは大衆消費者をターゲットとして約5,000米ドルの低価格で米国市場を開拓した。
 現代自動車は当初、日本の三菱自動車から技術支援を受けていたが、自動車技術の専門研究開発会社であるリカードと技術開発契約を結び、3つの新しいエンジンを開発した。韓国と他国とのエンジン技術のギャップを縮め、飛躍の中で世界に進出するという目標を達成した。2019年に傘下の起亜(キア)自動車が、年産30万台規模のインド工場を完成。世界第4位の自動車大国インドへのグループの進出の足掛かりとなる。
●日本市場への進出
 「現代自動車」の日本市場への進出は2001年。CMキャンペーンや、翌2002年にはFIFAワールドカップの公式スポンサーにもなって知名度を上げた。日本での2008年の年間登録台数は501台に留まったため、日本市場からの撤退を検討し始め、日本市場での広告を中断し、2010年をもって日本での乗用車販売を正式に終了した。