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24 香港の盛衰 香港の日本人(終り)

 1981年から1999年の間に、香港に住む日本人の人口は、7,802人から2万3,480人とほぼ3倍になり、日本のコミュニティの規模はロンドンやニューヨークなどの都市のコミュニティと同じになった。この増加に伴い、日本企業の数も急速に増加し、1988年から1994年にかけて1,088社から2,197社へとほぼ倍増した。 2020年6月30日に「香港国家安全維持法」が全国人民代表大会全人代)により可決され、同日午後11時より施行された。今後の香港行政から目が離せない状況が続く。

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●日本人の人口
 1997年の改革開放と香港返還は、本土との経済統合の進展に拍車をかけ、この傾向に続き、多くの日系企業が国境を越えて深センと広州に事業を移した。その結果、香港の日本人人口は1999年のピークから減少した。香港国勢調査統計局は、2001年に1万4,100人の日本人を記録し、33%減少した。2004年、日本総領事館は香港に住む2万5,600人の日本人を推定した。香港日本国総領事館管轄内の在留邦人数(在留届ベース)によると、2012年が2万3,136人、2015年2万6,869人、2017年2万5,004人となっている。
 香港に来る日本人の大多数は、ビジネスマンとその家族だったが、1990年代には、日本の職場環境から逃れるために移住する独身の日本人女性の「ブーム」があった。これらの女性の多くは、キャリアを伸ばすために香港や他のアジアの都市に行った。独身女性の移住意欲が高まっただけでなく、香港の日本企業は、男性スタッフの雇用コストが原因で、日本よりも女性の採用に意欲的であることが証明された。
●現地での言葉
 日本が管理する企業では、中国の現地従業員は、日本の管理職と同じランクの現地管理職との間に明確な権力の違いを感じていた。多くの日本人女性が中国語(広東語または北京語)を話そうと香港にやって来たが、日常生活に英語でのコミュニケーションで十分であるという。2011年の国勢調査の回答者のうち、日本人であると認めた回答者のうち、通常の言語に日本語を話す77.4%、英語17.2%、広東語3.9%、北京語1.0%だった。通常の言語以外の追加の言葉では、英語64.3%が、広東語18.7%、北京語18.7%、日本語19.5%と述べている。 (資料 英文Wikipedia)