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4香港の盛衰 香港の医療制度史

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1870年に建設した香港最初の病院。香港東華医院(医学百科 2014より)

●医療制度
 初期の香港は、住むのに健康な場所でなかった。1843年の夏、駐香港イギリス軍の4分の1とヨーロッパの商人の10分の1がマラリア、「香港フィーバー」、その他の病気で死亡した。
 1894年に腺ペストが発生、汽船にいたネズミからペストは世界へ広がったことで、公衆衛生の基準を改善するようコミュニティからの要請があった。政府は、衛生と健康問題について助言するため、保健医療官を任命することで対応した。
 建設のための政府資金を受けた公立病院は、自給自足で運営した。知事からの圧力に応え、植民地省は香港に植民地外科医と政府の市民病院を持つことを許可した。知事は政府と公的機関が共同で資金を提供し、1870年に無料の漢方治療を提供する「東華医院」が誕生した。
1930年代に、新しく設立された衛生部門に、環境衛生の問題が割り当てられ、公立病院の責任を保持した。
●戦後
 1945年の第2次大戦終結により、香港の医療制度は混乱状態に陥つた。1950年代半ばまでに、帰国した住民や本土の難民によって人口が4倍の約250万人に達したため、戦前の不十分なレベルにまで公共サービスを回復する努力に費やされた。過密で不衛生な生活条件が再び優勢になり、結核やその他の伝染病が急増した。利用可能なベッド数が5,000未満であるため、公立病院は完全に対応できなかった。病棟は混雑し、治療を待つ患者の列が続いた。また資格のある医療関係者の深刻な不足があった。
 香港政府は、1964年「香港医療サービスの開発」で、民間開業医を訪問する余裕がない人口の推定50%と、私立病院を買う余裕がない80%に公共施設とサービスを提供することを目標とした。
 次の20年間、好景気により、政府は活発な公立病院と診療所の建設プログラムを追求できた。このように、ベッド、スタッフ、財政が大幅に拡大したにもかかわらず、病棟は混雑したままで、行列が長く、サービスも貧弱だった。
 1989年、公衆衛生と一般外来診療所の責任を引き継ぐために新しい保健省が設立された。
●伝染病との戦い
 1997年の鳥インフルエンザ(H5N1)、1998年のエンテロウイルス71、2001年のH5N1、そして2003年のSARSの連続発生はすべて、香港の医療提供者間の弱点、断片化、コミュニケーションの欠如を示した。
 実質的な解決策は、2004年に保健省が10億ドルと1,300人のスタッフを転用して、「予防に対する責任、権限、説明責任」を備えた統一された指揮系統で、すべてのセクターにわたる取り組みを調整する「衛生防護センター」を設立したことで対応した。(資料「香港の医療システム」香港大学出版社 2012 )