シュールの本棚

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13 香港の盛衰 啓徳(カイタック)空港

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カイタック空港を発着する旅客機
(写真「捜狐」2018.7.24)

 カイタック空港は、九龍湾の土地を住宅用に埋め立てるために設立された会社に携わった2人の経営者の名前から付けられた。この会社は破綻し、埋め立て地を飛行場として使用することが認められ、カイタックからの最初の飛行が1925年の旧正月に行われた。
 1927年3月、啓徳浜は英国空軍の飛行場となり、1936年には軍民共用の空港となった。最初の商用旅客便は、1936年3月24日にインペリアル・エアウェイズが運航するペナンから着陸した。この到着により、啓徳空港は公共交通機関の空港として新しい時代を迎えた。 翌年、パンアメリカン・ワールドエアウェイズは香港とサンフランシスコ間のクリッパー飛行艇サービスを開始した。
 戦争の終わった1954年、新政府は空港開発のマスタープランを承認し、1958年に2529mの滑走路が建設された。このとき、「香港国際空港」という名前が正式に採用された。そして1962年に旅客ターミナルビルが建設された。
 1975年、香港に就航した31の航空会社の長距離運航要件を満たすために、滑走路が3,390mに延長された。啓徳空港1996年、2,950万人の国際旅客と156万トンの国際貨物を処理し、国際旅客にとって世界で3番目、国際貨物で世界で1番目に忙しい空港になった。(資料/香港特別行政区政府